建学発1998-第0086号
1998年7月27日

日本工業倶楽部理事長
平 岩 外 四 殿

社団法人日本建築学会
会 長  尾 島 俊 雄

日本工業倶楽部会館の保存に関する要望書

 拝啓 時下益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 日頃より,本会の活動につきましては,多大なご協力を賜り,厚く御礼申しあげます。
 さて,この度新聞等の報道を通じて知るところによれば,貴台におかれましては,現在ご所有の貴日本工業倶楽部会館を三菱地所所有の隣接ビルと一体的に再開発し,高層ビルを建設するやに伺っております。
 ご承知のように,貴会館は,建築の質において極めて優れたもので,外観は「近世復興式」と呼ばれ,重厚な古典的様式の構成の中に当時流行していた幾何学的構成のゼツェッシオン様式という近代の新しい様式が加味されています。また,同様に当時流行し始めていたアメリカ式オフィスビル特有の柱と梁による構造を素直に表現する高層建築の形態が見られ,様式から見て大正期の時代性がよく反映されています。内部は重厚さを求めた外観とは対比的に華麗で,内外の優れた材料を駆使した極めて質の高いインテリアを有し,とりわけ入り口のホール,2階の大広間,3階の談話室は高い評価を受けています。
 設計は,横河工務所で担当建築家の一人は松井貴太郎です。大正期の建築家の多くは,明治期の様式建築から乖離を目指して新様式であるゼツェッシオン様式を取り入れますが,とりわけ,松井はゼツェッシオン様式へと強く傾倒していったことで知られる建築家です。このように建築家の動向から見ても,松井の手になる貴会館は,様式建築から新しい様式へと向かい始めた大正という時代を象徴する重要な建築なのです。
 また,明治以降のわが国近代化を押し進めたオフィス街として知られる丸の内地区にあって,創建以来わが国工業界を支えた人々の倶楽部建築として現在までその機能を失わずに利用され続けてきた貴会館は,丸の内地区のよすがを後世に伝えるかけがえのない建築でもあります。
 つきましては,貴台におかれましては,耐震性や防火性の問題があるにしても,改めて貴会館の建築歴史上の意義と倶楽部建築という文化史的意義,さらには丸の内地区の意義について十分なるご理解をいただき,このかけがえのない文化遺産を永く後世に継承すべく,補強工事を踏まえつつ現地における全面保存をご検討いただけますようお願い申しあげる次第です。
 なお,本会では建築の保存に関しましては,技術指導などできます範囲でお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
 今後とも,由緒ある優れた建造物の保存にご理解とご努力を賜りますようよろしくお願い申しあげます。

敬 具

日本工業倶楽部会館に関する見解

社団法人日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 中 川   武

 貴日本工業倶楽部会館は以下の観点から極めて高い価値が認められる。

1:大正期の時代性を表現する建築物としての意義

 設計は,戦前・戦後を通して活躍している横河工務所で,ファサードは松井貴太郎(1883-1961),インテリアは橘教順・鷲巣昌が担当し,大正9(1920)年に竣工している。かって貴会館に隣接して建てられていた旧東京銀行集会所も横河工務所の設計で,担当は同じ松井貴太郎であった。この松井は,明治39(1906)年度の東京帝国大学の卒業設計「国立劇場」以来,幾何学的構成によるゼツェッシオン様式を好んだ建築家として知られ,この丸の内地区で担当した二つの建物でもゼツェッシオン様式を用いている。とりわけ,貴会館では,重厚な古典様式のシンボルである正面玄関のオーダーのゼツェッシオン化を試みている。また,松井は貴会館ではゼツェッシオン化に加え,柱と梁の軸組構造を露出させるというアメリカの高層建築の形式も同時に取り入れており,まさにわが国のオフィス建築がアメリカから強い影響を受けていく過程を知り得る貴重な作品といえる。
 インテリアに関しては,外観の重厚さに比べると華やかで,1階ホール・2階大広間・3階談話室などの諸室は,内外の優れた仕上げ材による見事な装飾が施されており,当時のインテリアの様子をよく知ることのできる貴重な実例である。
 なお,大正期のわが国の建築家の目指したものは,様式建築からの乖離であり,それ故に新しい様式であるゼツェッシオン様式を積極的に取り入れた。松井のゼツェッシオン様式への傾倒も,大正期の建築家の流れにあり,まさに時代性をよく反映しているといえる。

2:わが国の工業界のシンボルとしての意義

 貴会館は,大正6(1917)年に一流実業家329名がお互いの懇親とわが国の近代化を支えてきた工業の一層の発展を目指して設立した貴日本工業倶楽部の会館として建設されたもので,いわゆる第一次世界大戦による「戦争景気」のもたらしたわが国工業界のシンボルといえる。ちなみに,正面玄関の屋上に置かれた小倉有一郎作のハンマーを持つ男性像と糸巻きを手にする女性像は,石炭と紡績を表し,当時のわが国の経済界を支えた二大工業の様子を具体的に表現していることで知られる。
 また,加えて,戦前期に建設された倶楽部建築の遺構としてもわが国を代表する貴重なものといえる。

3:丸の内地区の景観を形成するシンボルとしての意義

 貴会館の建設されている丸の内地区は,明治以降のわが国の近代化を支えたオフィス街として知られ,明治・大正・昭和初期の数々のわが国を代表する優れた建築物が建設されていた。また,この地区は,昭和8(1933)年4月にわが国で初めて美観地区に指定され,そのためもあり,各建物の高さは「百尺」に揃えられるなど,わが国でいち早く街並みという景観の重要性が認められたところである。現在,この地区で歴史的建造物がまとまって現存しているのは,東京駅を中心とした周辺で,貴会館・東京駅(大正3年)・中央郵便局(昭和6年)と続く街並みにより,戦前期からの美観地区の景観を見ることのできる貴重な地区といえる。このように,貴会館は,他の歴史的建造物と相まって貴重な景観を形成しており,この地区にはなくてはならない建築物である。

 以上の観点を鑑み,これまで,貴会館が関東大震災・第二次世界大戦という不幸をくぐり抜け,倶楽部建築として使用され続けてきたのは,多くの有志の人々に支持され,愛されてきたからであり,その歴史そのものが貴重かつ敬意に値するものといえる。今後とも,従来の機能を発揮し続けるかたちでこの建物が残されることが,戦前期の工業界を担った人々の手になるこの建築の本来のあり方として大切である。十分な歴史的・建築的調査が行われ,末永くこの建築が使用されながら保存されることが望ましいと考えられる。


建学発1998-第0086号
1998年7月27日

千代田区長
木 村   茂 殿

社団法人日本建築学会
会 長  尾 島 俊 雄

日本工業倶楽部会館の保存に関する要望書

 拝啓 時下益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 日頃より,本会の活動につきましては,多大なご協力を賜り,厚く御礼申しあげます。
 さて,貴千代田区の丸の内地区に現存する日本工業倶楽部所有の日本工業倶楽部会館が,三菱地所所有の隣接ビルと一体的に再開発して高層ビルを建設する計画であることはご承知のことと存じます。
 この貴区内に現存する同会館は,建築の質において極めて優れたもので,外観は「近世復興式」と呼ばれ,重厚な古典的様式の構成の中に当時流行していた幾何学的構成のゼツェッシオン様式という近代の新しい様式が加味されています。また,同様に当時流行し始めていたアメリカ式オフィスビル特有の柱と梁による構造を素直に表現する高層建築の形態が見られ,様式から見て大正期の時代性がよく反映されています。内部は重厚さを求めた外観とは対比的に華麗で,内外の優れた材料を駆使した極めて質の高いインテリアを有し,とりわけ入り口のホール,2階の大広間,3階の談話室は高い評価を受けています。
 設計は横河工務所で,担当建築家の一人は松井貴太郎です。大正期の建築家の多くは,明治期の様式建築からの乖離を目指して新様式であるゼツェッシオン様式を取り入れますが,とりわけ,松井はゼツェッシオン様式へと強く傾倒していったことで知られる建築家です。このように建築家の動向から見ても,松井の手になる同会館は,様式建築から新しい様式へと向かい始めた大正という時代を象徴する重要な建築なのです。
 また,明治以降のわが国の近代化を押し進めたオフィス街として知られる貴丸の内地区にあって,創建以来わが国工業界を支えた人々の倶楽部建築として現在までその機能を失わずに利用され続けてきた同会館は,貴丸の内地区のよすがを後世に伝えるかけがえのない建築でもあります。
 つきましては,貴区におかれましては,改めて同会館の建築歴史上の意義と倶楽部建築という文化史的意義,さらには貴区ばかりではなく日本の近代化の象徴的な地域である丸の内地区の景観形成上の意義について十分なるご理解をいただき,このかけがえのない文化遺産を永く後世に継承すべく,日本工業倶楽部に現地における全面保存をご検討いただけますようご指導をお願い申しあげる次第です。
 なお,本会では建築の保存に関しましては,技術指導など出来ます範囲でお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
 今後とも,由緒ある優れた建造物の保存にご理解とご努力を賜りますようよろしくお願い申しあげます。

敬 具

日本工業倶楽部会館に関する見解

社団法人日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 中 川   武

 貴区内に現存する日本工業倶楽部会館は,以下の観点から極めて高い価値が認められる。

1:大正期の時代性を表現する建築物としての意義

 設計は,戦前・戦後を通して活躍している横河工務所で,ファサードは松井貴太郎(1883-1961),インテリアは橘教順・鷲巣昌が担当し,大正9(1920)年に竣工している。かって同会館に隣接して建てられていた旧東京銀行集会所も横河工務所の設計で,担当は同じ松井貴太郎であった。この松井は,明治39(1906)年度の東京帝国大学の卒業設計「国立劇場」以来,幾何学的構成によるゼツェッシオン様式を好んだ建築家として知られ,この貴丸の内地区で担当した二つの建物でもゼツェッシオン様式を用いている。とりわけ,同会館では,重厚な古典様式のシンボルである正面玄関のオーダーのゼツェッシオン化を試みている。また,松井は同会館ではゼツェッシオン化に加え,柱と梁の軸組構造を露出させるというアメリカの高層建築の形式も同時に取り入れており,まさにわが国のオフィス建築がアメリカから強い影響を受けていく過程を知り得る貴重な作品といえる。
 インテリアに関しては,外観の重厚さに比べると華やかで,1階ホール・2階大広間・3階談話室などの諸室は,内外の優れた仕上げ材による見事な装飾が施されており,当時のインテリアの様子を知ることのできる貴重な実例である。
 なお,大正期のわが国の建築家の目指したものは,様式建築からの乖離であり,それ故に新しい様式であるゼツェッシオン様式を積極的に取り入れた。松井のゼツェッシオン様式への傾倒も,大正期の建築家の流れにあり,まさに時代性をよく反映しているといえる。

2:わが国の工業界のシンボルとしての意義

 同会館は,大正6(1917)年に一流実業家329名がお互いの懇親とわが国の近代化を支えてきた工業の一層の発展を目指して設立した日本工業倶楽部の会館として建設されたもので,いわゆる第一次世界大戦による「戦争景気」のもたらしたわが国工業界のシンボルといえる。ちなみに,正面玄関の屋上に置かれた小倉有一郎作のハンマーを持つ男性像と糸巻きを手にする女性像は,石炭と紡績を表し,当時のわが国の経済界を支えた二大工業の様子を具体的に表現していることで知られる。
 また,加えて,戦前期に建設された倶楽部建築の遺構として,わが国を代表する貴重な建築である。

3:丸の内地区の景観を形成するシンボルとしての意義

 同会館の建設されている貴丸の内地区は,明治以降のわが国の近代化を支えたオフィス街として知られ,明治・大正・昭和初期の数々のわが国を代表する優れた建築物が建設されていた。また,この貴地区は,昭和8(1933)年4月にわが国で初めて美観地区に指定され,そのためもあり,各建物の高さは「百尺」に揃えられるなど,わが国でいち早く街並みという景観の重要性が認められたところである。現在,この貴地区で歴史的建造物がまとまって現存しているのは,東京駅を中心とした周辺で,同会館・東京駅(大正3年)・中央郵便局(昭和6年)と続く街並みにより,戦前期からの美観地区の景観を見ることのできる貴重な地区といえる。このように,同会館は,他の歴史的建造物と相まって貴重な景観を形成しており,貴地区にはなくてはならない建築物である。

 以上の観点を鑑み,これまで,貴地区に現存する同会館が関東大震災・第二次世界大戦という不幸をくぐり抜け,倶楽部建築として使用され続けてきたのは,多くの有志の人々に支持され,愛されてきたからであり,その歴史そのものが貴重かつ敬意に値するものといえる。今後とも,従来の機能を発揮し続けるかたちでこの建物が残されることが,戦前期の工業界を担った人々の手になるこの建築の本来のあり方として大切である。十分な歴史的・建築的調査が行われ,末永くこの建築が使用されながら保存されることが望ましいと考えられる。


建学発1998-第0086号
1998年7月27日

東京都知事
青 島 幸 男 殿

社団法人 日本建築学会
会 長  尾 島 俊 雄

日本工業倶楽部会館の保存に関する要望書

 拝啓時下益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 日頃より,本会の活動につきましては,多大なご協力を賜り,厚く御礼申しあげます。
 さて,貴東京都千代田区の丸の内地区に現存する日本工業倶楽部所有の日本工業倶楽部会館が,三菱地所所有の隣接ビルと一体的に再開発して高層ビルを建設する計画であることはご承知のことと存じます。
 この区内に現存する同会館は,建築の質において極めて優れたもので,外観は「近世復興式」と呼ばれ,重厚な古典的様式の構成の中に当時流行していた幾何学的構成のゼツェッシオン様式という近代の新しい様式が加味されています。また,同様に当時流行し始めていたアメリカ式オフィスビル特有の柱と梁による構造を素直に表現する高層建築の形態が見られ,様式から見て大正期の時代性がよく反映されています。内部は重厚さを求めた外観とは対比的に華麗で,内外の優れた材料を駆使した極めて質の高いインテリアを有し,とりわけ入り口のホール,2階の大広間,3階の談話室は高い評価を受けています。
 設計は横河工務所で,担当建築家の一人は松井貴太郎です。大正期の建築家の多くは,明治期の様式建築からの乖離を目指して新様式であるゼツェッシオン様式を取り入れますが,とりわけ,松井はゼツェッシオン様式へと強く傾倒していったことで知られる建築家です。このように建築家の動向から見ても,松井の手になる同会館は,様式建築から新しい様式へと向かい始めた大正という時代を象徴する重要な建築なのです。
 また,明治以降のわが国の近代化を押し進めたオフィス街として知られる丸の内地区にあって,創建以来わが国工業界を支えた人々の倶楽部建築として現在までその機能を失わずに利用され続けてきた同会館は,丸の内地区のよすがを後世に伝えるかけがえのない建築でもあります。
 つきましては,改めて同会館の建築歴史上の意義と倶楽部建築という文化史的意義,日本の近代化の象徴的な地域である丸の内地区の景観形成上の意義について十分なるご理解をいただき,このかけがえのない文化遺産を永く後世に継承すべく,日本工業倶楽部に現地における全面保存をご検討いただけますようご指導をお願い申しあげる次第です。
 なお,本会では建築の保存に関しましては,技術指導など出来ます範囲でお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
 今後とも,由緒ある優れた建造物の保存にご理解とご努力を賜りますようよろしくお願い申しあげます。

敬 具

日本工業倶楽部会館に関する見解

社団法人日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 中 川   武

貴東京都内に現存する日本工業倶楽部会館は,以下の観点から極めて高い価値が認められる。

1:大正期の時代性を表現する建築物としての意義

 設計は,戦前・戦後を通して活躍している横河工務所で,ファサードは松井貴太郎(1883-1961),インテリアは橘教順・鷲巣昌が担当し,大正9(1920)年に竣工している。かって同会館に隣接して建てられていた旧東京銀行集会所も横河工務所の設計で,担当は同じ松井貴太郎であった。この松井は,明治39(1906)年度の東京帝国大学の卒業設計「国立劇場」以来,幾何学的構成によるゼツェッシオン様式を好んだ建築家として知られ,この丸の内地区で担当した二つの建物でもゼツェッシオン様式を用いている。とりわけ,同会館では,重厚な古典様式のシンボルである正面玄関のオーダーのゼツェッシオン化を試みている。また,松井は同会館ではゼツェッシオン化に加え,柱と梁の軸組構造を露出させるというアメリカの高層建築の形式も同時に取り入れており,まさにわが国のオフィス建築がアメリカから強い影響を受けていく過程を知り得る貴重な作品といえる。
 インテリアに関しては,外観の重厚さに比べると華やかで,1階ホール・2階大広間・3階談話室などの諸室は,内外の優れた仕上げ材による見事な装飾が施されており,当時のインテリアの様子を知ることのできる貴重な実例である。
 なお,大正期のわが国の建築家の目指したものは,様式建築からの乖離であり,それ故に新しい様式であるゼツェッシオン様式を積極的に取り入れた。松井のゼツェッシオン様式への傾倒も,大正期の建築家の流れにあり,まさに時代性をよく反映しているといえる。

2:わが国の工業界のシンボルとしての意義

 同会館は,大正6(1917)年に一流実業家329名がお互いの懇親とわが国の近代化を支えてきた工業の一層の発展を目指して設立した日本工業倶楽部の会館として建設されたもので,いわゆる第一次世界大戦による「戦争景気」のもたらしたわが国工業界のシンボルといえる。ちなみに,正面玄関の屋上に置かれた小倉有一郎作のハンマーを持つ男性像と糸巻きを手にする女性像は,石炭と紡績を表し,当時のわが国の経済界を支えた二大工業の様子を具体的に表現していることで知られる。
 また,加えて,戦前期に建設された倶楽部建築の遺構として,わが国を代表する貴重な建築である。

3:丸の内地区の景観を形成するシンボルとしての意義

 同会館の建設されている丸の内地区は,明治以降のわが国の近代化を支えたオフィス街として知られ,明治・大正・昭和初期の数々のわが国を代表する優れた建築物が建設されていた。また,この地区は,昭和8(1933)年4月にわが国で初めて美観地区に指定され,そのためもあり,各建物の高さは「百尺」に揃えられるなど,わが国でいち早く街並みという景観の重要性が認められたところである。現在,この地区で歴史的建造物がまとまって現存しているのは,東京駅を中心とした周辺で,同会館・東京駅(大正3年)・中央郵便局(昭和6年)と続く街並みにより,戦前期からの美観地区の景観を見ることのできる貴重な地区といえる。このように,同会館は,他の歴史的建造物と相まって貴重な景観を形成しており,この地区にはなくてはならない建築物である。

 以上の観点を鑑み,これまで,貴東京都内に現存する同会館が関東大震災・第二次世界大戦という不幸をくぐり抜け,倶楽部建築として使用され続けてきたのは,多くの有志の人々に支持され,愛されてきたからであり,その歴史そのものが貴重かつ敬意に値するものといえる。今後とも,従来の機能を発揮し続けるかたちでこの建物が残されることが,戦前期の工業界を担った人々の手になるこの建築の本来のあり方として大切である。十分な歴史的・建築的調査が行われ,末永くこの建築が使用されながら保存されることが望ましいと考えられる。