1998年5月1日

西  和 彦 様

社団法人 日本建築学会

会 長 尾 島 俊 雄

旧吉田五十八邸の保存に関する要望書

 拝啓 時下益々ご清栄のことと拝察申し上げます。日頃より,本会の活動につきましては,多大なご協力を賜り,厚く御礼申し上げます。

 さて,このたび仄聞するところでは,貴台におかれましては,現在ご所有の旧吉田五十八邸を売却されるやに伺っています。

 ご承知のように,吉田五十八は昭和戦前に多くの建築家が西欧の近代建築を進める中で,独自に日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,近代数寄屋を開拓した建築家であります。

 戦前に数寄屋建築の近代化をまとめ上げた後,寝殿造,伝統的寺院建築,民家建築,城門などの様式をもとに,その近代化に努め,それらの成果は1958年の上野の日本芸術院会館,1960年のローマの日本文化会館,1961年の五島美術館,1962年の大和文華館などに見られます。1954年その功績を認められ,日本芸術院会員に推挙され,更に1964年文化勲章を授章された建築家であることもよく知られているところであります。さらに彼は,1968年にその創造的設計態度が国際的にも高く評価され,アメリカ建築家協会(AIA)の名誉会員に推挙さております。以上の作品,経歴をつうじて知られるとおり,吉田五十八は戦後日本の代表的建築家であります。

 吉田は1944年,神奈川県二宮町に居を構え,自邸を設計しましたが,この自邸は彼のデザインの本質である簡潔な造形のなかに,日本的な美しさを求めようとする建築思想をきわめてよく表現したものであり,日本の近代住宅建築史の中でも貴重な建築であります。また,表門から玄関前庭と座敷から続く南の主庭の巧みな大和絵のような空間は,芝庭に日本庭園の構成を込めた和洋折衷的な試みを示したもので,吉田の自邸と一体をなす庭園として貴重なものであります。

 1989年,吉田五十八未亡人よりこの住宅を購入され,以来貴台がその継承に努めてこられたことに本会は敬意と感謝の念を抱くものでありますが,昨年3月未亡人も亡くなられた現在,この住宅建築の将来を考えるとき,さらに何らかのかたちでの保存を考慮されたく,格別の配慮を賜わりますようお願い申し上げます。

 なお,本会はこの建築と庭園の保存と調査に関しましては,できるかぎりのお手伝いをさせていただく所存であります。

 今後とも,この優れた近代住宅建築の保存のために,ご理解とご協力を賜わりますようお願い申し上げます。

敬 具


旧吉田五十八邸に関する見解

社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 中 川  武

 1944年に建てられたこの住宅は,それまで東京在住であった建築家吉田五十八が,戦時の被災を避けるための疎開先として土地を選び,自邸として建設したものである。神奈川県二宮町の地を選んだのは,戦争が激化すればここからさらに御殿場に避難でき,戦争が終われば東京への通勤も可能だと考えたためという。

 当時の建築制限に従って,延べ床面積は101平方メートルに抑えられた計画であったが,後に吉田自身による増築が重ねられ,現在は150平方メートル近くの床面積となっている。屋根は奈良の大和棟風に構成され,京壁による数寄屋風住宅である。前もって東京で作らせた建具や畳を現地に送り,それに合わせて建築各部の寸法を決定するという苦肉の工法が取られたことも,この住宅の時代的背景を示している。建築工事は直営で行なわれ,庭園の施工は布川栄次郎によると言われている。

 その後に増築が繰り返されたことは前述の通りであるが,外観と玄関,二つの座敷は当初の姿を残したものである。また,その後の改変も,吉田五十八の生活と意識の変化を読み解くうえで貴重なものである。建築家の自邸は最もよくその建築観を示すものと言われるが,この旧吉田五十八邸もまた,住宅建築の近代化に大きな足跡を残した彼の意識と手法を知るうえできわめて有益な作品である。とりわけこの建築においては,建築と庭園の関係を注意深く設計しており,日本建築の伝統であった室内と庭園の融合を確保し,しかもそこに芝庭などの洋風要素を導入して近代の住宅と庭園のあり方を求めている。そこに彼の建築における着眼点が窺われ,他の作品解釈にも示唆を与えてくれるのである。

 建築家と自邸におけるこうした興味深い関係は,同時代の建築家であった村野藤吾の自邸においてもまったく同様に見られるものであったが,村野邸は先の阪神・淡路大震災によって失なわれている。吉田五十八と村野藤吾は,和風の意匠を得意とし,住宅建築に大きな足跡を残し,しかも両者はともに日本建築の近代化に貢献した。そうした建築家の自邸のうち,村野邸が失なわれた現在,旧吉田五十八自邸は,わが国の近代住宅を切り開いた建築家の自邸として,いまや最も貴重な作品の一つとなっている。

 これまでこの建築が住宅として使用され続けてきたことは,建築の本来の機能から見ても,その維持継承の観点から見ても望ましいものであった。今後とも,機能を発揮しつづける形でこの住宅が残されることが,近代の住文化の結晶を後世に伝えるうえで大切である。十分な歴史的・建築的調査が行なわれ,今後ともこの建築が保存されることが望ましいと考える。