丸の内ビルディングの保存に関する要望書

本会は1月30日,下記要望書を三菱地所あてに提出しました。


1997年1月30日

三菱地所株式会社代表取締役社長
 福澤 武  殿

社団法人 日本建築学会
会 長   尾島 俊雄

丸の内ビルディングの保存に関する要望書

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 日頃より,本会の活動につきましては,多大なご協力を賜り,厚くお礼を申し上げます。
 さて,貴下におかれましては,現在,丸の内ビルディングの改築計画について検討を始められ,その改築計画では既存建物の取壊しを考えておられる旨うかがっております。
 しかし,あらためて申すまでもなく,現在の丸の内ビルディングの建物は,建築史上においても文化史上においてもきわめて高い価値を有しております。また,丸の内ビルディングが位置する東京・丸の内地区は,日本のオフィス街発祥の地であり,日本で最初のアメリカ式オフィスビルとして建設されたこの建築は,その歴史を語るうえで重要な位置を占めております。さらにこの地区の景観は,皇居とまっすぐ向き合って位置する赤レンガの東京駅とともに,日本の表玄関として,あるいは東京の原風景として,市民からも親しまれ,きわめて高い公共性を有していることは,貴下におかれましても重々ご承知のことと存じます。中でも丸の内ビルディングはその中枢をなしており,周囲の都市景観を維持するうえでの重要な構成要素として,きわめて高い評価を受けております。
 昨年の10月,文化庁では歴史的な建物を活用しながら保護するための制度として,「文化財登録制度」(別紙資料を添付)を導入いたしました。この文化財登録制度は,外観を変更しようとする場合にあらかじめ届出をしていただくというゆるやかな規制と同時に,税制等経済面での優遇制度を適用して,その歴史的資産を保護していこうとする我が国における新しい試みであります。
 建築遺産継承のための,こうした新しい動きが見られるこの時期に,貴下におかれましては,丸の内ビルディングの文化的意義と歴史的価値についてあらためてご理解いただき,このかけがえのない文化遺産が永く後世に継承されますよう,格別のご配慮を賜りたくお願い申し上げる次第です。

敬 具


丸の内ビルディングの建築史上の価値について

社団法人 日本建築学会 建築歴史・意匠委員会
委員長 中川 武

 丸の内ビルディングは,米国の建築家ポール・スターレットとウィリアム・スターレットの指導により,桜井小太郎を中心とする三菱合資会社地所部の設計とニューヨークの建築会社フラー社の施工で,大正12年に完成しました。当時の日本建築界では,新構造によって高層化できうる施工技術と,それに伴う施工機械の導入が焦眉とされ,この建築はまさにその要求に応えたのです。大型コンクリートミキサー,吊り足場,スチームハンマー,資材のトラック輸送などの機械類を導入し,2年半という短期間の工事でした。これは人力中心であった日本の建設業界に大きな衝撃を与え,その後の建設工事の模範になりました。丸の内ビルディングは我が国のアメリカ式オフィスビルを代表すると同時に,日本の建築界に著しい技術革新をもたらした記念すべき建物なのです。

 構造面では,鉄骨鉄筋コンクリート造地上8階地下1階とし,工事期間中に東京地震(大正11年4月26日,M6.9)と関東大震災(大正12年9月1日,M7.9)を挟んだとはいうものの,それらの被害にも耐え,大きな震災を経験した東京で現存する数少ない一棟に数えることができます。

 また様式・意匠的には,関東大震災による被害等により,数次にわたって外壁が補修されましたが,オフィスビルが装飾をそぎ落としながら合理主義的構成に移行していく過程が示されており,我が国建築界の建築様式の過渡期における様相を良く証言しております。

 丸の内ビルディングでは,地下および1階に飲食店をはじめとする各種店舗が設けられ,ビルの外部に出なくでも,1日が送れるように配慮されております。このビル形式は近代オフィスビルの原型として今日に受け継がれ,日本のオフィス街の発祥地としての歴史を持つこの地区の,文化を証言できる希有な例になっております。

 丸の内ビルディングが立地する東京・丸の内地区は,明治27年にJ.コンドルと曾禰達蔵により「一丁ロンドン」が計画され,大正期から今日までの各時期のすぐれた建築群が現存しており,生きた建築博物館と呼ぶべき優れた都市景観を形成しています。 丸の内ビルディングは,皇居の和田倉門とまっすぐに向き合う東京駅や,隣接する東京中央郵便局とともにこの地区の中枢を成しており,歴史的に最重要な存在と言うことができます。