設計教育のあり方についての提言

2003年3月12日
社団法人日本建築学会

序―なぜ提言が必要か

今、日本の大学における建築設計教育は、重大な局面に立っています。それは大きく国際的な資格の側面、専門性という側面、地球環境的な対応の側面の3つがあると思われます。

国際的な建築設計者資格の条件として、UNESCO/UIAは高等教育における大学の修業年限を5年にすることを求めており、アジアにおいても中国、韓国など、それに従って建築家の教育課程を5年に延長したところも増えております。日本の建築教育は、欧米と比較しますと、その大多数の建築関係学科が工学部に所属していることが示しているように、構造、設備等を含めた総合的な教育を行ってきたことに特徴があるとされ、建築士制度もその延長上に定められてきました。しかし国際的な交流が高まり、建築設計者資格の同等性が論議される中でJABEEの学部教育認定が始まり、さらに大学院教育認定を含めた検討もなされはじめ、改めて日本の設計教育の特性を明確にすることが求められています。

建築家教育という面では、大学院教育を含めた形でUNESCO/UIAの国際推奨基準に対応することを視野に入れ、JABEEの建築分野要件は定められています。

日本における建築士制度がつくられ50年経ちますが、今改めてその建築設計および技術の分野における専門性が問われております。それに正しく応えるためには、まず第一に高等教育における建築設計教育が将来の専門性をしっかり見据え、その基礎となることが求められます。

人間が生きるための基本である環境問題については、日本建築学会は建築系4団体と共同で2000年6月に地球環境・建築憲章を制定しました。21世紀の建築は地球環境に配慮したものでなければなりません。ただ新しいものをつくる20世紀型の設計教育ではなく、古い建物をどう再生するかというような設計教育も早急になされる必要があります。長寿命、自然共生、省エネルギー、省資源・循環、継承というキーワードを満足するような都市デザイン、地域・環境デザイン、建築計画、構造、設備、歴史、意匠を含めた総合的な設計教育が組み立てられねばなりません。

日本の高等教育における設計教育は、その設備、環境あるいは教員という点においても改善すべきことが多くあります。設計教育はそれぞれの教育機関の個性や方針に委ねられますが、日本の高等教育におけるさまざまな問題解決の支援のために、この提言がこれからの日本の建築設計教育の向上に役立つことを期待します。

本提言は主として設計教育を行っている教員、教育機関、およびそれをささえる関係機関組織に対して行うものです。今後継続的に議論され、将来的にも時代的要請にあわせて見直されることを期待します。

T 教育目標について

A.問題点

  1. 教育においては、どのような能力を持つ人材を育成しようとするのか、最初にその目標が確立されていなければなりません。しかしこれまで日本の設計教育においてそれが必ずしも明確になされていたとは言えません。日本の大学における建築教育は、技術と芸術を分離せずに行う「総合性」にあると主張されることも多くありました。しかし、それが日本独自なもので欧米においてはそうではない、と必ずしも言い切れませんし、様々な科目をただ並べているだけで総合的な教育であると主張することはできないでしょう。

  2. 日本の大学の学生は、その卒業時点において極めて不十分な実務的知識と能力しか与えられていないことも事実だと言わねばなりません。これは1)で指摘した問題に加えて、日本の大学教育が研究者養成に偏していることにも起因しています。専門的職業教育を卒業後の実務の中での習得に委ねている現状では、専門家養成の任務を大学が果たしているとは言い難いでしょう。

  3. 設計に関わる活動領域、あるいは活動の仕組みは今日飛躍的に変化し、また拡大しつつあります。その活動領域は企画からマネージメント(PM、FM等)まで、あるいは建築単体の設計から都市デザインや地域・環境デザインといった幅広い対象まで広がりつつあります。またその仕組みも市民参加やNPO、NGOといった地域や共同体の様々な人々の加わった新しい動きへの対応から、従来の資格制度の改変にまで及ぶ激しい変化の動きの中にあることを見据える必要があります。

B.提 言

  1. 総合的な教育を実行するためには、まずそれぞれの大学がその目指す教育目標を明確にし、その方法を具体化することが求められます。そしてまたそれを教員・学生共通の認識とするとともに、外に向かって明示することが必要です。それが個々の大学の個性を生み出し、社会全体に多様性と活力を与える出発点です。

  2. 大学院は研究者養成を目指すだけではなく、設計者の養成のためのプログラムを持つ必要があります。そのプログラムにおいては、学部(4年)と大学院修士課程(2年)は、効果的に組み立てられねばならないでしょう。それがなされれば、今日求められている国際的な基準を越えたものとなるでしょう。

  3. 大学はそれぞれ特色を持ち個性化する一方で、外に対して開かれたものとなる必要があります。大学間で、あるいはまた大学と企業・官庁との間で、積極的な人事の交流が図られる必要があります。それぞれの大学の個性は、企業や設計事務所等の実務組織、他の専門領域、海外の大学や企業、あるいはまた地域社会や市民活動グループとの関わりの中で強められ、深められていくものだからです。

  4. 専門家を養成するためには、大学教育が、現実に対応する知識と技能を適切に教えるように組み立てられていることが大切ですが、それと同時に予測不可能な将来に対し得る能力と専門家として社会に奉仕する人格を育てるものでなくてはなりません。そのための根源的な専門家としての倫理教育は、すべての授業を通して与えられるものに違いありませんが、その中核となるような設計理論、建築論、職能論の授業を確立することは重要だと考えられます。

U 教育方法について

A.問題点

  1. 設計教育の基本となるものは教員から学生への個別の直接指導です。大人数のクラスあるいはスタジオ編成ではそのような教育は不可能となります。

  2. 授業時間全体の内で、十分な時間数が設計の授業に割りあてられなければなりません。UNESCO/UIAの国際推奨基準では、専門教育においては全体の半分以上がスタジオ(設計作業室)での授業に当てられることが求められていますが、日本の多くの大学ではその水準に達していないのが現状だと言えます。

  3. 総合的な教育を目指す以上は、設計の授業と他の授業課目が良く関係づけられ組み立てられていることが必要です。構造や設備といった分野との関係はどのようにとられているのでしょうか。建築計画といった隣接する分野との関連はどのようになされているのでしょうか。

  4. 設計課題自体も相互に関連づけられ、適切に組み立てられている必要があります。学生に与えられる設計課題が担当教員ごとの思いつきの羅列に終わっているとすれば、その教育は目標に向かって効果的に組み立てられているとは言えません。

  5. 専門の仕事や職能が、社会の現実の中で直面している広汎で多様な問題に学生の関心を導くことは、専門教育に求められている重要な任務です。大学での授業が研究の先端性や表現の前衛性にのみ偏していては、その任務を十分に果たすことは難しいでしょう。

B.提 言

  1. 大学そのものが多様化していくならば、設計教育自体も大学ごとに個性化していくことになるでしょう。設計教育と言っても、広く様々な専門に分化する前段階の基礎教育としての設計教育もありますし、建築設計者を養成するための専門教育としての設計教育もあります。以下の具体的な提言は、主として後者の専門教育としての設計教育を念頭において述べてありますが、設計教育としての本質は前者の基礎教育としての設計教育においても共通だと考えられます。

  2. 学生ひとりひとりに対して教員が十分なコンタクトをとりながら設計の授業を行うためには、教員ひとりあたりの学生の数は適切な数に制御され、またその時間は授業時間割の中で十分な長さがとられていなければなりません。(注−1)

  3. すべての授業科目は、設計の授業との関わりをあらかじめ教員間で十分に話し合った上で、そのねらいが学生ひとりひとりに理解されるようにシラバス等による説明、あるいはガイダンスなどによって示される必要があります。

  4. 設計の授業に対する学生の興味を引き出すためには、そのひとつひとつの課題の内容と相互の関連、出題の順序等を教員同士で十分に論議したうえで、その全体の目標を授業のはじめに学生に理解させることが重要です。設計課題は学生にとって魅力あるものでなければならないのは当然ですが、といってリアリティを無視した抽象的な課題に走ったり、当座の関心をひくための一回ごとのイベントにとどまっていては、専門職業人を育てる責任ある教育とはなり得ないでしょう。また個々の課題の内容も、従来の建築単体の設計だけでなく、都市デザイン、地域・環境デザイン、生産や生活に関わるデザイン等、新しい課題に挑戦していくことも求められます。

V 教員に求められる能力とその選考方法について

A.問題点

  1. 設計教育を行うためには設計の実務経験は不可欠です。しかしながら、日本の大学の教員の大多数は研究者であって、設計を専門とする建築家の数は決して多くはありません。その不足は非常勤講師によって補われているのが現状でありますが、非常勤講師の任務は限定されたものでカリキュラム全体に関与することはできず、またその待遇も決して十分なものとは言えません。

  2. 設計を専門としていない教員も、研究成果を実務と結びつけることによって設計教育に大きな役割を果たすことができますし、またそれは求められていることでもありますが、そうした努力は十分に行われているとは必ずしも言えません。

  3. 大学の人事が固定化し、大学と大学、あるいは大学と産業界、官庁との人事の交流は不十分であって、そのことが大学の研究、教育を硬直化させていることも大きな問題です。

B.提 言

  1. 設計の実務経験のある教員の数を増やすためには、教員を採用する際の判断基準となる業績評価の内容に、研究業績だけでなく、設計業績を加える必要があります。

  2. また採用する設計教員の質を高め、かつその活動領域を広めるためには、設計業績の評価をただ単に作品の数、受賞数等によって固定化することを避け、その大学が目標として掲げた教育目標を達成するにふさわしい人物を選考する方法を、柔軟に工夫することが重要だと言えます。

  3. 非常勤講師の待遇を改善するとともに、大学間、あるいは大学と外部との人事交流をより盛んにしていく必要があります。そのためには、任期制、客員制、併任制等の積極的な導入が有効な手段となるでしょう。

  4. 設計教育の成果を教室内にとどめておくのではなく、広く外に示し、評価を受ける方法が考えられねばなりません。公開の講評会、学生や教員の作品集、あるいは設計教育についての教員相互の研究発表会は、そのための有効な手段となるでしょう。

W 教育環境について

A.問題点

  1. 学生が設計の作業を大学で行い、その進展を教員が直接みながら指導できることは、設計教育において最も重要なことであります。そのためには、学生ひとりひとりが占有できる作業机を配した設計作業室(Studio)が大学に設けられていなければなりません。作業室のほかに、講評会を行ったり、作品を展示するための空間も設計教育には不可欠であります。しかし、そのような施設が十分に用意されている大学は多くありません。

  2. 学生が様々な材料を直接手にしながら模型や家具、展示物などを製作することのできる工房(木工室、金工室)等も、設計教育にとって欠くことのできない基本的な施設であります。しかしながら、個々の専門領域の研究室、実験室、あるいは先端研究のための実験施設が優先されている日本の大学の現状では、こうした基本施設は極めて貧弱です。

  3. 設計の現場、あるいは施工の現場で実際の経験を得ることは、設計を学ぶ学生にとって有益なことです。しかし企業、産業と大学の間での教育的交流は、未だ十分に行われているとは言えません。建築の学生が設計事務所等で臨時の仕事(アルバイト)等をすることは現場経験の一助となっている面もありますが、カリキュラムとして適切に組織化されておらず、十分な教育的効果を挙げているとは言い切れません。

B.提 言

  1. 学生ひとりひとりが占有して作業できる作業机を用意することは、設計教育において必要な条件であります。そしてその作業机は、学生同士がお互いの作品を批評しあったり、教員が集団的に指導したりすることが可能なように、ひとつのまとまった室内、すなわち設計作業室におかれることが必要です。(注−2)

  2. 講評室、展示室、模型工作室等も、設計教育には必ず設けなければならない施設と言えます。しかし、学生の設計作業をそこなうことがないよう配慮がなされている場合は、設計作業室の一画をその目的のために用いることもできるでしょう。

  3. 現場での実習や講習、あるいはインターンシップ等を積極的に設計教育のプログラムの中に取り入れるための多様な試みがなされる必要があります。

X 教育成果の評価について

A.問題点

  1. 学生は、個々の科目および教育課程全体のそれぞれの段階において、設定されている教育目標への達成度によって評価判定されなければなりません。目標に達していない学生を情実によって合格とすることは学生の将来を誤らせるだけでなく、社会に対して大学が責任を果たしていないことを意味します。大学の専門教育において、入学した学生のほとんどすべてが無事卒業する日本の大学の現状は、国際的に見ると極めて異例のことと言わねばなりません。

  2. 企業が卒業前の学生の採用を内定し、その就職を拘束することは、教育課程を混乱させています。そしてさらに大学が教育責任を放棄することにつながることとなっています。

  3. 学生だけでなく、教える教員もまた、その教育の成果によって業績評価されねばなりません。しかし、日本の大学においては、それが研究業績、あるいは学外における活動業績のようにはっきりとした評価の対象とされることは稀であります。

B.提 言

  1. 学生の成績に不合格の判定を与えることは、決して学生の将来の道を閉ざすことではなく、むしろ設計を専門とする意志あるいは素質のない学生をより適切な方向へ導くガイダンスと考えられるべきです。そのためには、ひとりひとりの教員が、慎重にかつ決然と判断を下すことが求められることは当然ですが、それだけでなく、大学、あるいは社会全体に方向転換の経歴を否定的に評価するのではなく、肯定的に評価し受け入れる意識と制度がつくられる必要があります。

  2. 教員は、教育の成果によって定期的にその業績を評価される必要があります。学生はその評価を最も直接的に行える立場にあり、学生による教員の評価は業績評価に積極的に取り入れる必要があるでしょう(しかし学生の評価は様々な歪みをもっているものであって、それをそのまま直線的に受け入れるべきものではないことを念頭に置く必要があります)。学外からの評価、特に卒業生を受け入れた企業からの評価を、教員の業績評価に反映させる方式が工夫される必要もあるでしょう。

<注>

以下の数字は議論をすすめていくためのたたき台で、必要条件ではありません。それらを補完できる内容・手段があれば十分に対応できるものと考えてください。
注−1 そのひとつの推奨値としては、教員一人が、直接設計作業室で指導する学生数16〜20人、1週直接学生に接する時間は6〜8時間、学部での総時間数540時間、大学院での総時間数540時間、合計1,080時間が目安となるでしょう。
注−2 その必要面積は、学生ひとりあたり、ほぼ3〜5uが目安となるでしょう。

設計教育特別調査委員会

委員長 香山 壽夫
幹事 八木 幸二
委 員 小倉 善明
島田 良一
志水 英樹
仙田 満
高梨 晃一
戸部 栄一
服部 岑生
藤本 昌也
村田麟太郎