2003年1月28日

豊郷町 町長 大野和三郎殿
豊郷町 教育長  寺田茂殿
豊郷小学校 校長 堤清司殿

豊郷小学校校舎の保存活用に関する要望書

                              社団法人 日本建築学会
                              会 長  仙田 満

 拝啓 時下ますます御清祥のこととお喜び申し上げます
 日頃より本会の活動につきましてはご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、貴町の表記の建築保存に関して、本会では近畿支部より2001年12月14日付の要望書を、お届け致しておりますが、それに対するご返答など、未だに拝受していないよう仄聞致しておりますこと、まことに遺憾に存じます。
 全国的な観点からも文化財に値する本建築の保存問題に関しては、学会として深く関心を寄せて参りました次第です。
 その後、昨年1月24日に大津地裁により、講堂の解体差止めの決定がなされ、さらに12月19日に本館校舎の解体差止めの決定がなされております。その判断理由として、本校舎の文化的価値、適切な構造調査、保存改修の有効性など、いまだ十分に調査が尽くされていないことが指摘されています。
 貴町におかれては、この司法判断をうけ、本館校舎等の保存を表明されましたこと、有意義なことと拝聴致しました。その一方で新校舎の建築計画を進められており、現校舎の活用に向けての検討が未だになされていないよう聞き及んでおります。
 つきましては、先の「豊郷小学校校舎の保存に関する要望書及び見解」で述べさせて頂きましたことを踏まえ、今回重ねて、多様な文化的価値があるとされる貴校舎の詳細調査を速やかに実施され、建築群と校地環境を含めた保存活用の検討に入られますように要望申し上げる次第です。
 なお、本会はこの建物の調査、及び保存計画の検討に関しまして、建築構造分野、建築計画分野、教育学分野の専門研究者による支援など出来ます範囲でお手伝いさせて頂く用意のあることを申し添えます。
 ご英断により、この優れて由緒ある建築と良好な地域環境の保全が図られますよう望んでおります。

                                      敬 具


2003年1月28日

滋賀県知事 国松善次殿

豊郷小学校校舎の保存活用に関する要望書

                              社団法人 日本建築学会
                              会 長  仙田 満

 拝啓 貴台におかれましては、ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。
 日頃より本会の活動につきましてはご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、滋賀県犬上郡豊郷町に所在します豊郷小学校の建築は、別紙の見解に記しますように、当地出身の古川鉄治郎の寄付を下にヴォーリズ建築事務所の設計によって、1937年に建築されました。鉄筋コンクリート造の建築群と恵まれた校地の環境は当時より小学校建築のモデルのような整った内容を備えたものとして知られ、当地ではこれまで「東洋一の学校」と誇りをもって維持されて来たものです。
 本建築について近年では、日本建築学会による調査をまとめた『日本近代建築総覧』(1980年)、滋賀県教育委員会による『滋賀県近代建築調査報告書』(2000年)においても重要な建築作品としてその歴史的文化的価値を有すものとして評価されております。
 ところで一昨年、豊郷町により校舎の建替え計画が公表されたのに対し、地元住民グループが文化財的価値を踏まえた現校舎の保存活用を求めています。そして日本建築学会近畿支部にても関係者に向けて保存活用を視野に入れた慎重な対応を求める要望書を届けており、全国的な観点からも文化財に値する本建築の保存問題に関しては、学会として深く関心を寄せて参りました次第です。
 その後にもつづく、町の建替え計画に対し、昨年1月24日に大津地裁により、講堂の解体差止めの決定がなされ、さらに12月19日に本館校舎の解体差止めの決定がなされております。その判断理由として、本校舎の文化的価値、適切な構造調査、保存改修の有効性など、いまだ十分に調査が尽くされていないことが指摘されています。
 この司法判断をうけ、町では本館校舎等の保存を一旦表明されましたが、一方で新校舎の建築計画が進められており、現校舎の活用に向けての検討が未だになされていないよう聞き及んでおります。
 つきましては、関係者によって多様な文化的価値のある現校舎と校地環境の保存活用計画が速やかに実施されますよう、貴管下の学校建築及文化財建造物の所管に、ご助言、御指示賜りますよう要望申し上げる次第です。
 なお、本会はこの建物の調査、及び保存計画の検討に関しまして、建築構造分野、建築計画分野、教育学分野の専門研究者による支援など出来ます範囲でお手伝いさせて頂く用意のあることを申し添えます。

                                      敬 具


2001年12月12日

豊郷小学校の建築に関する見解

                              社団法人 日本建築学会近畿支部
                              近代建築部会 山形政昭

■歴史と記録
 明治6年創立の歴史をもつ本校は、明治25年の新小学校令により豊郷尋常小学校として歩み始めている。当時木造平屋建て校舎による校地は現校地の南の地にあったが、昭和初期に至り学舎の改善が要望されていく。そうした昭和8年、校長に着任した山中忠幸は独自に教育環境に関する研究を重ねていたところ、事業家古川鉄治郎より新しい学校建築の寄付申し出を受けたことで新校地での建築計画が具体化し、竣工した昭和12年5月に当地に移転したものである。
 古川鉄治郎(明治11年〜昭和15年)は、明治20年の卒業生であり,つづいて県立商業学校(八幡高等商業学校)に学んだ後、伊藤忠兵衛商店に入り,やがて大正10年伊藤長兵衛らと共に丸紅商店を起し,重役として活躍した実業家である。氏の経歴で注目されることに,昭和5年頃の欧米視察途上で目にした学校施設に感銘を受けたことがあり,愛郷の思いと郷土の発展に資する目的で、この寄付事業を決意したという。
 建築設計は、近江八幡のヴォーリズ建築事務所に昭和10年6月に委託され、本工事は、竹中工務店により昭和11年春に着工、昭和12年春に竣工している。
 竣工近くの昭和12年2月11日に収められた定礎銘の記録があり、加えて校舎竣工五十周年記念誌(昭和62年発行)に、竣工時の記録が種々再録されている。また昭和12年に刊行された『ヴォーリズ建築事務所作品集』にもその計画が収められ、ヴォーリズの建築作品として広く知られたものとなったほか、当初の設計図面が現在も一粒社ヴォーリズ建築事務所に伝えられ、建築内容が分かる資料となっている。
 昭和40年代に入り、体育館の建替えなど一部校舎の改修が加えられているが、主要な建築は、竣工時の状態を割合良く留めている。

■建築内容と特色
 豊郷小学校は旧中山道の東に接して約200メートル四方、4万平米の校地を有し、西側中央に正門を開き、広い前庭奥の正面に配された長大な白亜の本館校舎と、その前面の左右に配された図書館と講堂が主要部を構成している。本館の正面にはロータリー状のアプローチと噴水のある池をもつ前庭が整備され、さらに道路側には実習農園の水田と畑地が設けられていた。南の校庭には陸上トラックを中心に運動施設が置かれ周辺には樹木が植栽されている。この校地を目にし、直ちに解する特色は、モダニズムデザインを導入した校舎建築の簡潔明朗な意匠と、豊かな緑地を保持しつつ整然と構成されたキャンパスの環境にあることが分かる。
 本館校舎は鉄筋コンクリート造2階、一部3階建て、104メートル程に及ぶ長大な建物で、東西両端と中央部を北に張り出したE字型の建物である。12の教室は南面し、北側には幅3メートルの広い廊下が一直線に伸びている。中央部に玄関、職員室、貴賓室等を置き、左右に通学用玄関及び手工室、図画室、理科室など広い特別教室を配している。舞台付の音楽室を3階に設けていたのも珍しい。3箇所に置かれた階段は、3.8メートルの階高を24段で上る緩い勾配で、2面に窓があり明るい。滑らかな手摺りにはブロンズ製のウサギと亀の彫像を置き、愛すべきアクセントになっている。また衛生的な配慮から3箇所に水洗式手洗便所を本館から廊下でつづく別棟としていたこと、そして教室にはスチーム暖房、内線電話など珍しく早い設備もあった。
 外観は白い塗り壁、大型のスティールサッシュガラス窓(昭和54年に改修)で清楚だが、屋内はナラ材の床、テックス張りの天井、クロスペンキ仕上げの腰壁、そして廊下境の木製ガラス窓が居住性の良い環境としていることなど、ヴォーリズ建築の特色が指摘できる。
 本館の前庭に講堂と100メートル程の距離で向き合って図書館がある。児童閲覧室を中心に特別閲覧室、郷土資料展示室、書庫などをもつ設備は小学校図書館とし当時において他に類例を見ない立派なものだったに違いない。建築的にも中央部を吹き抜け空間とする構成や、アールデコのデザインを効果的に活用した意匠、そして特製の照明灯具、家具調度の類を備えたもので、先に記した神戸女学院の図書館に通じる構成と、質の高い内容を有している。その閲覧室壁面には、図書館の建築に寄付した郷土の先覚者伊藤忠兵衛を顕彰するタブレットが掲げられており、この建築は本館と並ぶシンボル的性格を与えられたものだったに違いない。
 北側正面とする講堂は、図書館と対をなすファサードをもつが、鉄骨鉄筋コンクリート構造で、約600席を有する大規模建築である。北側に2階席を収めた高い天井と両側面に並ぶ高窓が特色である。
 総じて、本学校は、県下における鉄筋コンクリート造小学校建築の先駆けであるに留まらず、まことに充実した建築が整然と配置された環境を保持する我国有数の小学校であった。そして、地元関係者の間では誇り高く「東洋一の学校」と言われ、今日まで親しまれてきてきたものであり、地域的歴史的遺産の価値高い優れた近代建築といえる。