2001年11月20日
横須賀市長 沢田 秀男 様
横須賀市教育長 廣 瀬 章 様
米海軍横須賀基地司令官 MICHAEL L.SEIFERT 様
社団法人 日本建築学会
会 長 仙 田 満
旧横須賀製鉄所副首長官舎(ティボディエ邸)の保存・活用に関する要望書
拝啓 時下益々御清祥のこととお慶び申し上げます。
日頃より、本会の活動につきましては、多大なご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、貴横須賀市稲岡町の在日米海軍横須賀基地に所在する「旧ティボディエ邸」につきましては、老朽化や新たな建設計画に伴い取り壊しが検討されている旨、聞き及んでおります。
しかしながら、この「旧ティボディエ邸」は、幕末から明治初期にフランスの技術支援をもとに建設された旧横須賀製鉄所の副首長として明治2年から造船技術の監督にあたったフランス人技師のティボディエ,ジュール・セザール・クロード(Thibaudier,Jules
C/esar Claude)の官舎として建設された建物であることが知られています。その建設年代は明治2年頃の起工とされ、小規模な平屋建ての洋風建築ですが、別紙「見解」に示しますとおり、旧横須賀製鉄所の建物として唯一現存が確認されている貴重な遺構であり、わが国の近代史並びに近代建築史において極めて重要な建物です。また、当然ながら、貴横須賀市の歴史を考える上でも、この建物は極めて貴重で、横須賀市の近代化の過程を具体的に示す価値ある建築といえます。
つきましては、このかけがえのない建物を後世に伝えるべく、保存・活用のための方途をご検討頂きますよう、お願い申し上げる次第でございます。
なお、本会はこの建物の保存・活用に関しまして、技術的支援などできる範囲でのお手伝いをさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。今後とも、この由緒ある建築物と良好な都市環境の保存のために、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
敬 具
旧横須賀製鉄所副首長官舎(ティボディエ邸)に関する見解
社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長
高橋 康夫
1.日本近代建築史上の価値
旧ティボディエ邸は、旧横須賀製鉄所の副首長として明治2年(1869)から造船技術の監督にあたったフランス人技師のティボディエ,ジュール・セザール・クロード(Thibaudier,Jules
C/esar Claude)の官舎として明治2年頃に起工された平屋建ての洋風の建物である。これまで知られるわが国に残る明治初期の建築で、この旧ティボディエ邸の建設年代を遡るものとしては、薩摩藩の尚古集成館やグラバー邸及び大浦天守堂など数例が知られているのみで、少なくとも東日本周辺においては現存する最古のものといえる。
加えて、旧ティボディエ邸に関しては、旧横須賀製鉄所の請負人の一人であった堤磯右衛門豊光の子孫に伝来する「堤家文書」と呼ばれる資料群の中に、建設当初の各種図面や材料表及び明治2年の年号が記された入札に関する資料等も確認されており、建物と一次史料群が同時に残されている点においても日本近代建築史上貴重な存在である。
また、建物の現状は、内外装ともに大きな改修が施されているものの、柱や小屋組及び外壁や基礎などの建物の骨格を残す部分は、概ね建設当初の形態を保持し、当初の姿が復元できる。それによれば、建設当初はヴェランダが二面に配置されるなど、幕末から明治の最初期にかけて日本でみられたコロニアルスタイルの建築的特徴をよく示しており、この点からも、わが国への西洋建築の初期導入事情を考える上で重要な建物であるといえる。
2.建築技術史的評価
旧ティボディエ邸は小屋組にトラスを用いるなど基本的には西洋の技術を用いて建設されたものであるが、随所に日本古来の伝統的技法も確認され、伝統的技術をもとに西洋建築を咀嚼していた当時の職人の姿が偲ばれる。このように旧ティボディエ邸は、西洋の建築技術が日本へ導入された最初期の姿を具体的に示す存在として貴重であると共に、横須賀製鉄所の建築技術が明治以降の建築技術に絶大な影響を与えた点からみても、わが国の建築技術史上において第一級の価値を有する建物といえる。
3.旧横須賀製鉄所の建物としての価値
旧横須賀製鉄所は、わが国の工業技術の礎を築いたともいえる近代史上極めて重要な施設であった。その建設に際しては、首長のヴェルニー以下45名ものフランス人技術者等が来日し、日本への西洋技術の導入に際して多大な功績を残している。日本人の建築技術者側も俊英達が集い、横須賀製鉄所の建設に携わった後に、皇居や銀座煉瓦街の造営などをはじめとする国家的プロジェクトを指揮監督する者が多数輩出されるなど、日本建築の近代化に大きく貢献したことが知られている。すなわち、旧横須賀製鉄所は、日本建築近代化の起点とも位置付けられるわが国の近代建築史上においても極めて重要な施設であった。旧横須賀製鉄所時代の建築として現存が確認されているものは、現在では旧ティボディエ邸が唯一であり、その存在価値はわが国の建築史上においてかけがえのないものといえる。
4.都市形成の視点からの評価
旧横須賀製鉄所とその後身の旧横須賀海軍工廠は、最先端の技術と国家的な資本投下の元に大規模な拡張を続け、それに伴って交通路や水道施設などの都市基盤施設も整備されていった。それにより、横須賀市の位置する三浦半島のもつ「半島の閉塞性」や「平坦地の少なさ」などといった都市化に困難な支障が次々と解消されていった。そして、横須賀市は、これら昭和戦前期までに創られた都市基盤に立脚した発展を続けてきたといえる。
その意味で、旧横須賀製鉄所の遺構である旧ティボディエ邸は、わが国の近代化の貴重な遺構であるばかりでなく、横須賀の都市化の始まりを伝える建物として都市形成史上貴重なものであるといえる。
以上の観点から、旧ティボディエ邸はわが国の貴重な文化財としての価値を有するものと認められ、後世に伝えるべく保存・活用が計られるべき重要な建物といえる。