2001年 1月16日

奈良県知事 柿本善也殿
奈良市市長 大川靖則殿
西日本旅客鉄道株式会社代表取締役 南谷昌一郎殿

社団法人 日本建築学会
会  長 岡田 恒男

JR奈良駅舎の保存に関する要望書

 

 拝啓、時下ますます御清祥のこととお慶び申し上げます。
日頃より本会の活動につきましては多大のご協力を賜り,厚く御礼申し上げます。
 さて、平成10年「JR奈良駅付近立体交差事業」について公表された後、現駅舎の行方に関心を寄せてまいりました。昨年7月19日の新聞報道によれば、本件に関する検討委員会より現駅舎の解体撤去を是とする提言が行われました由、今後の推移に不安を抱いている次第です。
 本会では,以前より我国の近代建築の調査研究に着手し,その成果を『日本近代建築総覧』にまとめ,1980年に刊行いたしました。さらにその中でも特に重要な建築作品を指摘し,その歴史的・文化的遺産としての価値を評価し,保存の意義を明らかにしようと務めてまいりました。そのなかに国鉄奈良駅として記された本建築が掲げられていますことは,すでにご高承のことと存じます。
 本建築が有します種々の価値については,別紙「見解」に記しますとおり、建築作品的価値,都市・地域景観的価値において特筆されるものであります。JR奈良駅及び周辺の再整備におかれましては、このかけがえのない建築を後世に伝えるべく,現地での保存活用のための方途をご検討いただきますよう,お願い申しあげます。
 なお、本会はこの建築の保存に関しまして,技術的支援など可能な限りの協力をさせて頂く所存であることを申し添えさせて頂きます。

敬具


JR奈良駅舎の建築についての見解

社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 鈴木博之

●建築の概要

 JR奈良駅舎の建築は、大阪鉄道株式会社により明治23年に建てられた初代奈良駅を継ぐ2代目駅舎として、国鉄時代の昭和初期に計画され、昭和9年にその主要部が竣工した。
 鉄骨鉄筋コンクリート構造,一部に地階を有する2階建て,中央部の方形屋根は木造小屋組み日本瓦葺(当初スパニッシュ瓦葺),延床面積約1千平方メートルの建物である。設計は大阪鉄道管理局工務課(主任技師 柴田四郎,担当技師 増田誠一)によるもので、その立案過程については諸説があるものの、馬場知巳『駅のうつりかわり−鉄道旅客駅変遷史』(昭和63年)によると、建築技師の増田誠一が、奈良の諸寺院の特色ある屋根を参考として作案したものといわれ,寺院風和風と鉄骨鉄筋コンクリート造の近代的構成の折衷様式をとっている。
 昭和33年に至り,未着工で残されていた正面左翼部が増築され、昭和39年に床タイルの張替え,屋根瓦の葺替え等修理工事がなされている。近年には改札口回りや,諸設備の改築がなされてきたが、全体として建築当初の特色をよく保持している。

●建築作品としての特色と価値

 建築意匠の特色は、鉄骨鉄筋コンクリート構造によって内部に吹き抜けの伸びやかなコンコース空間を配しながら、その近代的駅舎建築の上に寺院建築の塔を思わせる相輪をのせた方形屋根を組み入れた和洋折衷様式にある。その和風意匠は相輪状の棟飾りを付した瓦葺き屋根にとどまらず、柱頭部、折上格天井などの和様の構成、軒先に下げられた風鐸や宝相華、忍冬唐草文様などの装飾にも及んでいる。一方、洋風意匠は基壇と中間壁と頂壁部に分節された壁面構成、スクラッチタイル張りの意匠、開口部額縁に収めたスチールサッシュのガラス窓など指摘できる。加えて改修により撤去された後も、旧材として保存されている当初の青色釉スパニッシュ瓦や八葉複弁蓮華文様のクリンカータイルなど注目すべきものを残している。
 こうした和洋折衷の表現を用いた建築は、明治初期の擬洋風建築に始まるが,明治後半期には奈良県物産陳列所(現奈良博物館仏教美術センター、明治35年、重要文化財)、奈良ホテル(明治42年)など和風に力点をおいた近代建築の名作が生まれ、さらに昭和初期に入ると日本趣味を基調として環境に調和するという趣旨により名古屋市庁舎、京都市美術館などが建てられた。また昭和5年には鉄道省の外局に設置された国際観光課の指導により進められた事業に関連して、琵琶湖ホテル(昭和9年))などの観光ホテル,そしてこの奈良駅など和風を取り入れた駅舎建築が建てられた。
 こうした近代における和風意匠の建築は,洋風意匠の建物に比べると数少なく、我国の近代建築の特色を現すものとしてとして貴重である。また、これらの建物は地域性を鮮明に表現した個性を有すものとして、地域の貴重な建築遺産となっている。

●都市・景観における価値

 江湖に広く知られるように、奈良は古代平城京にさかのぼる歴史を有す都市であり,今日に至る歴史・文化・観光都市としての整備は明治初期の奈良公園の開園に始まっている。そして明治23年奈良駅の開設により,そこから東に向かう三条通が近代奈良における東西都市軸となり,その周辺に数々の都市建築が建てられていった。
 この三条通の西の基点に位置する奈良駅の昭和9年現駅舎の竣工に際して,設計者の一人柴田四郎は「千二百年の古都奈良市の表玄関として単なる在来の所謂洋風建築を避けたいとの意向が各方面に多かった事は私も最も首肯出来る事でした,しかし私は大都市のシティーゲートは絶対に耐震耐火構造でなければならないと考えて居ります。‥‥」と記している。
 つまり鉄骨鉄筋コンクリート構造によって,伝統的和風様式を取り入れた奈良駅舎の建築と駅前広場の整備は,歴史・文化都市として整備されてきた近代奈良のシンボルとしての役割を担って行われたものであった。以来60余年を通して,各地より奈良を訪れた人々の記憶に留められ,また広く市民に親しまれてきた歴史を有しているものである。
 このようにJR奈良駅舎の建築は地域性を積極的に造形化した建築作品であり、生きた歴史を有する象徴的建築としての価値、景観資源としての価値あるものである。