2000年11月6日

文化庁長官 佐々木 正峰 殿
東京大学総長 蓮實 重彦 殿

社団法人 日本建築学会
                    会長 岡田 恒男

「旧歩兵第三聯隊兵舎(東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所)」の保存再生に関する要望書

 拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 日頃より、本会の活動につきましては、多大なご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、貴庁(学)におかれましては、ナショナル・ギャラリー(仮称)」の新設に伴い、「旧歩兵第三聯隊兵舎(東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所)」の建て替え、ならびに取り壊しを検討されている旨、聞き及んでおります。
 しかしながら、改めて申し上げるまでもなく、この建造物は、本会が日本全国の代表的な建造物を網羅した『総覧日本の建築3東京』(1989年 新建築社)のなかに取り上げられており、本会においてはきわめて重要な歴史的建造物に位置づけています。また御承知のように,本会では以前より、わが国における明治・大正・昭和戦前の近代建築調査研究に着手し、その成果を『日本近代建築総覧』(1980年 技報堂出版)として刊行し、そのなかでも特に重要な建築作品については歴史的・文化的遺産としての価値と保存の意義を所有者にお伝えすべく努力しており、この建造物につきましてもその対象になっている旨、1985年に当該建物管理者責任者にお伝えしてあるところであります。
 この、「旧歩兵第三聯隊兵舎」は、関東大震災(1923年)後の震災復興建築であるとともに、わが国最初の本格的鉄筋コンクリート造兵舎建築であります。聯隊本部、3個大隊12中隊及び炊事場浴場等を収容するため「中」字型平面のビルディング形式を採り、中央軸及び左右両側軸に3個大隊を配し、中隊毎に階段室を設ける機能的平面をもつ点に特徴があります。外観意匠についても、各階段室入口及び中庭通路口12箇所と2連4段の窓を整然と並べた合理主義的な立面構成をもつなど、当時「世界優秀ノ模範兵舎」と称され、昭和初期の建築における合理主義的傾向を代表する建造物のひとつとされます。また、この地が1936年(昭和11年)の2.26事件の舞台となったことは広く知られており、日本近代史上の意義を併せ持つ建造物でもあります。
 なお、近年の傾向として、パリのオルセー美術館、ロンドンのテートギャラリー新館など、歴史的建造物を美術館に転用再生され、成功した例があることを申し添えます。
 つきましては、貴庁におかれましては、この建造物の歴史的価値並びに建築史上の重要性についてご理解をいただくとともに、美術館施設における近年の世界的潮流にも注意され、この建造物の歴史的価値をできうる限り後世に伝えるべく、積極的な保存・活用をご検討いただけますようお願い申し上げる次第です。
 なお、本会はこの建造物の保存活用に関しまして、可能な限りお手伝いさせていただきたいと考えております。今後とも、この優れた由緒ある建造物と良好な環境の保存のために、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

敬具


「旧歩兵第三聯隊兵舎(東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所)」についての見解

社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
  委員長  鈴 木 博 之

1 兵舎建築としての価値
 歩兵第三聯隊は、1874年(明治7年)12月に編成された歩兵聯隊で、1889年(明治22年)麻布六本木の現在地に移り、「麻布三聯隊」と呼ばれて地元では親しまれた。1923年(大正12年)の関東大震災により煉瓦造兵舎群を喪い、1928年(昭和3年)6月18日落成式を挙行して復興成った新兵舎が、現在の建物で、1961年(昭和36年)より東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所が使用していた。陸軍としては最初の鉄筋コンクリート造兵舎建築であり、聯隊本部機能を含め、炊事、浴室、医務室等をひとつ建物に納めたビルディング・タイプのモダン兵舎として知られ、「兵舎トシテハ世界優秀ノ模範兵舎」と称された。設計は第一師団経理部、鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階で、建築面積は8,746平方メートル、二つの中庭をもつ「中」字型平面を採り、正面に聯隊本部系統、背面に炊事系統、長軸部に
聯隊兵舎系統を配し、兵舎系統は、北長軸を第一大隊、中央長軸を第二大隊、南長軸を第三大隊に充てる。各大隊は基本的には4個中隊の編成で、各中隊ユニットは、階段室を中央に挟んで1階は中隊長室・中隊事務室・将校室・下士室・兵室と下士室・予備室・兵室、2階は兵室・被服庫・予備室・曹長室・下士室・兵室、地下の便所等から構成される。各中隊兵室間は耐震壁と防火鉄扉により区画され、階段室の1階出入口より外周庭及び中庭に通じることが可能なように、中隊単位の離集合、伝達の迅速・利便・確実性の確保が容易な機能的な造りとなっている点に特徴がある。一方、外観意匠は、2連4段のスティールサッシの窓と、ムクリ破風状の額縁をもつ各中隊宛の出入口と中庭通路口とにより簡明な立面構成をとり、合理主義建築のひとつの傾向を示す代表的建造物とすることができる。

2 地域の文化遺産として価値
 旧歩兵第三聯隊兵舎の位置する港区内は、六本木地区及び隣接する赤坂地区、青山地区を中心として、第一師団司令部、陸軍大学校、近衛師団歩兵第三聯隊、青山練兵場など旧陸軍施設が集中して所在した地域であり、帝都東京の軍都的側面を物語る地区であった。とりわけ六本木地区には、第一師団歩兵第一聯隊と同歩兵第三聯隊とが外苑東通りを挟んで相対峙し、その跡地は片や防衛庁、かたや東京大学生産技術研究所として六本木の軍都的雰囲気を今に伝えてきていた。本年4月、防衛庁が市ヶ谷に移転した後にあって、旧歩兵第三聯隊兵舎の存在は六本木地区の歴史を考えるうえで重要であり、当建造物の保存を検討し、積極的な活用を図ることによって地区のランドマークとして存続させることは極めて意義あるものと考える。

3 日本近代建築史上における価値
 本建造物はわが国における近代合理主義建築の建物として、きわめて完成度の高い建造物である。また、合理主義建築において本建造物のような兵舎残存例は他に見られないものである。