2000年7月11日
青山アパート団地管理組合
理事長 石井 徹 殿
森ビル株式会社
代表取締役社長 森 稔 殿
社団法人 日本建築学会
会 長 岡 田 恒 男
同潤会青山アパ−トメントハウスの保存活用に関する要望書
拝啓 時下益々ご清勝のこととお喜び申し上げます。
さて、貴台におかれましては、同潤会青山アパートメントハウスの建替え計画を決定された旨、新聞報道などを通じて仄聞しております。
あらためて申すまでもなく、貴同潤会青山アパートメントハウスは、歴史的に高い価値をもつものであり、戦前期の貴重な住文化遺産であると考えられます。日本建築学会では、わが国の明治・大正・昭和戦前期の近代建築の調査研究に着手し、その成果を『日本近代建築総覧』として刊行しておりますが、その中でも特に貴重な建築作品を指摘して歴史的、文化的遺産としての価値を評価し、保存の意義を明らかにしております。貴同潤会青山アパートメントハウスがそのリストに挙げられている事は既に御承知のことと存じます。また、DOCOMOMO(モダンムーブメントやその理論的基盤であるモダニズムに歴史的価値を認め、それに関る建物や史料保存の意義を訴えることを目的とする国際組織)の要請によって、日本建築学会が選定した日本のモダンムーブメントを代表する20件の中にも「一連の同潤会アパートメントハウス」が含まれております。
つきましては 貴台におかれまして、この建築の都市文化としての価値、並びに建築史上の重要性についてご理解いただき、その歴史的価値を出来るだけ後世に伝えるべく、積極的な保存・活用をご検討いただけますようお願い申し上げる次第です。
なお 本会はこの建物の保存活用に関しまして、可能な限りお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
今後とも、この優れた由緒ある建造物と良好な環境の保存にために、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
敬具
2000年7月11日
東京都
知事 石原 慎太郎 殿
渋谷区
区長 小倉 基 殿
社団法人 日本建築学会
会長 岡 田 恒 男
同潤会青山アパ−トメントハウスの保存活用に関する要望書
拝啓 時下益々ご清勝のこととお喜び申し上げます。
日頃より本会の活動につきましては多大な御協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、このたび、東京都渋谷区神宮前に所在する、同潤会青山アパートメントハウスを建替えるとの計画が発表されました。同潤会青山アパートメントハウスは、歴史的に高い価値をもつものであり、戦前期の貴重な住文化遺産であると考えられます。
日本建築学会では、わが国の明治・大正・昭和戦前期の近代建築の調査研究に着手し、その成果を『日本近代建築総覧』として刊行しておりますが、その中でも特に貴重な建築作品を指摘して歴史的、文化的遺産としての価値を評価し、保存の意義を明らかにしております。同潤会青山アパートメントハウスがそのリストに挙げられている事は既に御承知のことと存じます。また、DOCOMOMO(モダンムーブメントやその理論的基盤であるモダニズムに歴史的価値を認め、それに関る建物や史料保存の意義を訴えることを目的とする国際組織)の要請によって、日本建築学会が選定した日本のモダンムーブメントを代表する20件の中にも「一連の同潤会アパートメントハウス」が含まれております。
同潤会青山アパートメントハウスの建替え計画に際し、都民にも長年親しまれてきましたこのかけがえのない文化遺産を後世に継承できますよう、保存活用に向けての支援策を御検討頂きますようお願い申し上げる次第です。
なお 本会はこの建物の保存活用に関しまして、可能な限りお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
今後とも、この優れた由緒ある建造物と良好な環境の保存にために、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
敬具
同潤会青山アパートメントハウスについての見解
社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 鈴木 博之
貴同潤会青山アパートメントハウスは以下のような観点から、極めて高い価値を有していると考えられます。
- わが国最初の公的住宅供給機関「同潤会」による実例としての意義
同潤会は関東大震災の住宅復興を目的に大正13(1924)年に設立されたわが国最初の公的住宅供給機関である。わが国における公的な住宅供給の流れは、同潤会から住宅営団に引き継がれ、さらに戦後の日本住宅公団(今日の都市基盤整備公団)へと受け継がれており、同潤会はわが国の公的な住宅供給機関の嚆矢と位置付けられ、日本の住宅政策史上から見ても極めて重要な役割を担った組織といえる。同潤会の事業は、「住宅ノ経営」「不具廃疾収容所並授産場ノ経営」「其ノ他必要ト認ムル施設」の三事業であり、その一つとしてアパートメントハウスの建設が行なわれた。貴建物は同潤会の具体的な事業内容を示す貴重な建築遺構である。
また、同潤会の設計部門には同潤会の理事であった東京帝国大学教授内田祥三博士の門下生が集められていた。同潤会の設計部門は、当時のわが国において最高度の知識と技術を持った人材による知識集団であったといえ、当時の最先端の英知によって貴建築は計画されたといえる。
- わが国最初期の耐震耐火構造の都市型集合住宅を代表する建物としての意義
同潤会は創設直後から、新しい都市型住宅として鉄筋コンクリート造による耐震耐火構造の集合住宅−アパートメントハウス−の建設を計画した。関東大震災の教訓からも住宅の耐震化不燃化は時代の要請であり、一連のアパートメントハウスの建設はそれを具現化したものであった。同潤会は、大正14年度から昭和9年度までに、都内13ヵ所、横浜2ヵ所に合計2508戸のアパートメントハウスを建設した(なおアパートメントハウス以外に、不良住宅改良事業として建てられた「共同住宅」が1ヶ所ある)。昭和11年(1936)の統計によれば、東京市内に現存する貸室10室以上のコンクリート造の集合住宅は159棟を数えているが、この約半数以上が同潤会の手によるものである。また、同潤会が目指したのは新たな都市型住宅の創造であり、共用施設として児童遊園などを設けたり、各住戸にはガス、水道、厨房設備、水洗便所、ダストシュートなどを設け、コルク敷きの上に薄縁を敷いた床仕上げを採用するなど、日本の生活様式を考慮しつつも、新たな都市型集合住宅のあり方を提案した。
これらのことから、わが国戦前期の耐震耐火構造の都市型集合住宅の模索と実践は、同潤会主導で行われていたといえ、貴建物を含む一連の同潤会のアパートメントハウス群は、戦前期のわが国の耐震耐火構造の都市型集合住宅を代表する建物であるといえる。
- 山手に建つ同潤会アパートメントハウスとしての意義
同潤会によるアパートメントハウスの建設は大正14(1925)年から開始され、14年度中に中之郷、青山、柳島、代官山の各アパートメントハウスが着工した。同潤会のアパートメントハウスはその立地から山手に位置するものと下町に位置するものに分類できる。初期のアパートメントハウスのうち、山手に位置する青山、代官山の各アパートメントハウスでは、住戸の床仕上げとしてコルク敷の上に薄縁敷きが用いられているが、下町に位置する中ノ郷、柳島各アパートメントハウスでは、コルク敷きは用いられず畳敷きであった。また、山手のアパートメントハウスに用いられた住棟形式と下町のアパートメントハウスに用いられた住棟形式では、同じ2室構成の住戸であっても広さを変えている。このように、同潤会は立地に従って設計を変えており、貴同潤会青山アパートメントハウスは、山手に現存する唯一の同潤会アパートメントハウスであるという点において重要な意義を有している。
- 地域の景観形成における意義
同潤会青山アパートメントの敷地は明治神宮の表参道に面しているが、その形状は三角形の部分と棒状に細長く突出した部分からなる。住棟配置は、表参道に面して一列に6棟の住棟を配し、残り4棟を三角形の敷地に合わせて中庭を囲むように配置している。表参道に面した6棟は、中庭に面した1棟を含めて、いずれも表参道に面して出入り口を向けている。また、通りに面した住棟の屋上パラペットは表参道から洗濯物等が見えないように1.7メートルもの高さで造らており、同潤会青山アパートメントが表参道を強く意識して計画されたことは明らかである。その結果、今日に至るまで、貴同潤会青山アパートメントは表参道の景観構成に大きな影響を与え続けている。アパートメントハウスの住棟や各住戸は表参道にヒューマンスケールを与え、連続して配置された住棟は参道の傾斜に従って緩やかに推移するスカイラインを構成している。
これらから鑑み、貴同潤会青山アパートメントハウスは表参道の景観構成に不可欠な建物である。