2000年5月23日

財団法人 交詢社
理事長 石川忠雄 様

社団法人 日本建築学会
会長 岡 田 恒 男

交詢社ビルディングの保存・活用に関する要望書

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申上げます。
 日頃、本会の活動につきましては、多大なご協力を賜り、厚く御礼を申し上げます。
 さて、貴台におかれましては交詢社クラブを三井本館に移転して、貴所有の「交詢社ビルディング」の建て替え、並びに取り壊しを検討されている旨、聞き及んでおります。
 この建物については、本学会が日本全国における代表的な建造物を網羅した『総覧日本の建築3 東京』(1989年、新建築社)のなかに取り上げられており、本学会においては極めて重要な歴史建造物に位置付けています。また本会では以前より、わが国における明治・大正・昭和戦前の近代建築調査研究に着手し、その成果を『日本近代建築総覧』(1980年、技報堂出版)として刊行し、そのなかでも特に重要な建築作品については歴史的・文化遺産としての価値と保存の意義を所有者にお伝えすべく、努力して参りましたが、貴台所有の「交詢社ビルディング」がその対象であることは既にご承知のことと存じます。
 貴「交詢社ビルディング」は明治・大正・昭和初期において、数々の優れたオフィスビル・クラブハウスを担当した横河工務所が設計したもので、チューダー朝ゴシック様式の歴史主義を基調としつつ、外観にアールデコの意匠を取り入れた、昭和初期を代表する建築です。また、内部も質の高いインテリアを有しており、昭和初期の倶楽部建築の様相を語るにふさわしい優れた意匠を備えています。さらに、この建物が位置する銀座は、明治初期より新聞社などが集積する日本の情報の発信地となり、大正・昭和にはカフェーやバーなどとともに類を見ない都市文化が形成され、日本の近代を語るうえで重要な位置を占めてきました。その銀座に位置する交詢社ビルディングは、日本初の紳士のための社交倶楽部として、日本の社交文化の形成において果たしてきた役割は極めて重要と考えます。
 つきましては貴台におかれまして、この建築の都市文化としての価値、並びに建築史上の重要性についてご理解いただき、その歴史的価値をできるだけ後世に伝えるべく、積極的な保存・活用をご検討いただけますよう、お願い申し上げる次第です。
 なお、本会はこの建物の保存活用に関しまして、可能な限りお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
 今後とも、この優れた由緒ある建造物と良好な環境の保存のために、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます

敬具


交詢社ビルディングについての見解

社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会
委員長 鈴木 博之

  1. 倶楽部建物としての価値
     財団法人交詢社は、明治13年に福沢諭吉をはじめとする「慶応義塾社中の有志三十余名」によって設立された、日本で最初の紳士のための社交倶楽部である。もともと倶楽部は銀座煉瓦街の煉瓦家屋を社屋として用いてきたが、震災によって焼け出され、それを機に同じ場所に建築したのが現在の交詢社ビルディングである。この建物は震災復興祭が行われた前年の昭和4年に、SRC造、一部RC造地上7階、地下1階として竣工した。建物の設計は、明治・大正・昭和にかけて数々の優れたオフィスビル・クラブハウスを生み出した横河工務所が手がけ、アメリカ留学から帰国したばかりの横河民輔の長男である時介がそれを直接担当した。建物は3・4階が倶楽部室、それ以外に貸事務所が入っており、両者の出入り口もそれぞれ別の通路を設けている。このように二つの用途を複合化した貸事務所形式の倶楽部建築は、震災後における貸しビルブームのなかで生まれた一形態であり、昭和初期の倶楽部建築を語るうえで重要であり、この時期の建物の特徴を良く表している。3階・4階にある談話室・大食堂・憧球室などの各諸室には、チーク材を用いた腰羽目板・化粧梁・木製天井による質の高い室内空間が用意され、当時の倶楽部建築がチューダー朝ゴシック様式を基調として英国のクラブハウスを手本に設計された様子を知ることができる。一方、建物の外観については歴史主義を基調としながら、正面の出窓にはアールデコの意匠が取り入れられ、アメリカのオフィスビルに影響を受けた様子も見ることができる。昭和初期は歴史主義という様式が成熟と解体という二つの側面を見せ始めた時期である。この二つの傾向を備えた交詢社ビルディングは、昭和初期のオフィスビルにふさわしい特徴を備えており、室内には英国のクラブ・ハウスを手本とした優れたインテリアが用意され、昭和初期からの日本の社交文化の大衆性と成熟度の在りかたを見せてくれる貴重な一例ということができる。そうした建築史上の価値ばかりでなく、文化史上の価値からも、交詢社ビルディングは極めて重要な建物に位置付けられる。

  2. 地域の文化遺産としての価値
     交詢社ビルディングの位置する銀座は、明治初期から新聞社が進出し、大正・昭和にはカフェー・バーによる大衆文化が形成されるなど、日本の都市文化を語るうえで重要な役割を担ってきた場所である。交詢社ビルディングの隣の場所には昭和3年に竣工した瀧山町ビルディングがあり、ここのビルにはB.タウトが高崎市で工芸指導に当たった商品を扱う「テラミス」が昭和10年に店舗として入り、吉田謙一がデザインしたバー「機関車」も入居して都市文化の形成の一翼を担っていた。また交詢社通りの周辺地区には、昭和初期における大衆性と都市文化を象徴する電通ビル(昭和9年))・丸嘉ビル(昭和4年)・北海道新聞社東京支社(昭和5年)・銀座ビアホール(昭和8年)などの近代建築遺産が集中的に存在し、かつての銀座における歴史的文化の継承と歴史的景観を今でも保ち続けている。こうした中で、交詢社ビルディングが占める位置は極めて大きく、当ビルの保存を検討し、積極的な活用を計ることでランドマークとして存続することは極めて重要である。歴史的な建築群が点在する銀座地区の歴史性さらには地域史的観点から見ても、交詢社ビルディングの保存活用は極めて意義あるものと考える。

以上