2013年を振り返って

2013年を振り返り、そして2014年に向けて、気になるプロジェクトや活動、あるいは今後が楽しみな動きとは何か。2014年1月10日開催の建築討論委員会で討論した内容および、欠席委員の後日コメントをまとめた。

布野修司/滋賀県立大学・建築討論委員会委員長

2020年の東京オリンピックについて建築の専門家は、東京のプランニング戦略についてもっと発言していくべきではないか。高速道路の建設のような都市構造の大きな変化があったのが1964年の東京オリンピックだ。だが今回は、それらの補修、防災、耐震化のようなテーマが先行している。半世紀前のストラクチャーの強靭化の話にとどまるのでは困る。一方で施設面では約20施設を新築/改修する計画が発表されている。これだけ建てる財政的余裕があるのならば、既存施設の活用を行い、その戦略を世界にアピールすべきではないだろうか。2016年東京オリンピック誘致の際には世界の若手建築家にやらせるという計画だったが、今回はそうした計画はないのだろうか。学会も建築家もあらかじめ議論をし、提案を出すべきではないか。

宇野求/東京理科大学・建築討論委員会幹事

世界的に起きているコピペ建築の蔓延が国内にもフィードバックされつつあり、湾岸などにハイライズなマンションが生まれている。この状況がどういう意味を持っているのか、真剣に考えたほうがよいのではないか。一方でデジタルデザインの世界の一部では先鋭化が進み、合理性と精度を満たしながらさまざまなものがつくられるようになり、均質なコピペ建築とは、二極化した動きを見せている。たとえば伊東豊雄さんの台湾でのプロジェクトは素晴らしい。また30代の若手に木内俊克やArup Japanのメンバーのような、コンピュータをフレキシブルに使える人材が出てきており頼もしい。 2020年の東京オリンピックに向け、都市政策は新たな方針へと舵を切る必要がある。都市博の際に青島幸男元都知事がプロジェクトを止めて以降、東京都の都市開発は方向性がぶれ始め、そうこうしているうちにアジア諸国の発展の後塵を拝した。現在の東京都の都市開発戦略は約10年前、現在総理大臣補佐官を務める和泉洋人が理論的根拠を構築し、伊藤滋が打ち出したコンパクトシティと都心集中の方向性が基盤となっている。あらためて考えなおす必要があるのではないか。

伊藤香織/東京理科大学

建築空間の計画・意匠といった側面から、パブリックの概念を再考する動きが活発になっているように思う。コミュニティではなく、パブリック。そうした出版も相次いでいる。実際に、住宅でも店舗インテリアでも、公共性の一端を担っているという意識で設計活動等をする人が、若い世代を中心に増えていることを反映しているように思われる。近年、様々な分野でソーシャルやパブリックといった概念に注目が集まっていたが、その本質的でフィジカルな現れである都市空間を建築の立場からあらためて見直し、新たな設計活動を位置づけていこうとしているのではないか。同様の問題意識で、 私が主査をしているWGが編集担当となって、『まち建築:まちを生かす36のモノづくりコトづくり』(日本建築学会編、彰国社刊)という書籍が4月に刊行される予定である。

木下庸子/設計組織ADH

大学では、社会に関連するプロジェクトに関心を示す学生が多い。気になるのは、建物の形を考える前段階だけで提案を展開してしまうところである。たとえば「国立競技場」を題材に建築の葬式(終わり)について考えたい、あるいは「スタジオアルタ」のファサード改修をし、広告塔として今以上にお金を生み出す提案をしたい、というような案の相談を受ける。形としての落とし所が見えないまま模索し続け、結論を猶予する傾向を感じる。

平塚桂/ぽむ企画

アートや社会起業といった建築外の領域の人たちが建築に関心をもち、建物の改修などを実践しつつある。彼らは表現手段として建築に関心を持っているのではなく、変革の時代を乗り越える道具やスキルとして、建物およびそれにまつわるノウハウに可能性を感じているように見える。そうした他分野の人々は、情報サービス等を利用して、建築や不動産などの専門分野に強い対等な立ち位置のコラボレーターを獲得し、場合によっては行政からの支援を受けながらプロジェクトを進めている。このような柔軟でフラットなボトムアップ型の建築プロジェクトは、これからますます増えるのではないか。

藤村龍至/藤村龍至建築設計事務所

学生の中には「つくること」にあまりポジティブではない傾向があるとされる。「すべてが建築」であるという磯崎新の『建築の解体』のような議論へと考え方が回帰しているとも受け取ることができるが、これは大人たちが新築のプロジェクトがなくなる、設計の仕事をしても意味がないと言いすぎているのも一因ではないか。実際はそれなりの建設投資はあり、特に公共施設はこれから大更新時代に入るので、設計に取り組まない理由として状況を消費するのはもったいない。個人的に公共施設マネジメントにも関わっているので、浮気幼稚園など守山市のプロジェクトにおける、選定プロセス全体のオープン化とその後の動きには興味がある。2013年の展示では「マテリアライジング展」を興味深く拝見した。コンピューテーショナル・デザインは、集団的な熱を持っている分野だと感じる。ただ開催が芸大の陳列館であったことにも象徴的なのだが、美術館の中で成立する建築という領域を出ていないようにも見える。

山梨知彦/日建設計

私自身の予想や期待を裏切り、2020年のオリンピック開催地が東京へ決まったことは、やはり2013年の中の大きなトピックスであったように思う。 決定が決まった以上は、この機会を最大限に生かして、日本や東京を再構成していく機会にしたいと思う。1964年の東京オリンピックは、高度経済成長期にある日本と東京を、その時代にふさわしい状況へと転身させた。対して、成熟した都市東京、そして日本における課題を見出し、これを適切に2020年の「二周目のオリンピック」へと適切に接続するテーマを見出すことがまず必要ではなかろうか。
例えばインフラレベルにおいては、ICT時代に合わせた地下鉄などのマストラと、タクシーなどの交通機関をICTでつなぐことにより、ハードウエアによらないインフラの制御を試みる絶好のチャンスにも見える。我々が日々使っている、スマートフォン上のGPSや鉄道乗り換え情報アプリ、そしてSUICAなどのICカード、これにオリンピックの発券情報を載せ、さらにタクシー配車アプリとオリンピック施設への利用ルートによるインセンティブ(入場券のディスカウト販売)などを連携させれば、広域の人員流動が、ハードウエアの限界を超えて可能になる可能性がある。ICTインフラにまで目を広げれば、すでに日本には広域での人員誘導に必要なインフラは整っているともいえるのだ。これらを最適にインティグレートした、新しい時代の、ハードウエアのみに依存しないインフラ計画を実現したいものだ。
オリンピック自体においては、成熟した都市における最大の想定脅威ともいえる「自然災害=地震と津波」と「人災=原発事故」から、東京が、そして日本が、それらをいかに克服し復興を遂げ、また安定した状態としたかを、全世界へと表明しなければならないはずだ。個別のオリンピック施設においても、 例えば東北の木材を、福島原発に可能な限り近い木材を安全性を確かめ使うことで、オリンピックと東日本大震災や原発事故と直結することもできるかもしれな い。
2014年は、オリンピックのテーマが、それも浮かれ気分のそれではなく、成熟した都市東京、そして日本の進むべき道とシンクロしたテーマがなんであるかを議論すべき年にしなければならない。
(文責 平塚 桂)


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