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作品評論①:「よそもの」としての建築

市川紘司(東京藝術大学助手)

アンチ・ヒロイック

 今年はじめに刊行された『美術手帖』が特集したのは「建てない建築家」なる存在だった(『美術手帖2015年1月号』「特集:建てない建築家とつなぎ直す未来」)。近年の建築家の仕事は多岐にわたる。「建築家」とは呼ばれても、建築物を設計するだけでなく、従来の「建築物」という括りからははずれる小規模なインテリアの改修や「まちづくり」などを手がける主体はたしかに増えている。地域社会や人間関係といったある領域性を有する「空間」を調停し再構成することまで、建築家の仕事は拡張されている。物理的な建造物を設計する、というせまい職能観は取り払われつつある。
 こうした事情を説明するのに、箱モノを必要としなくなった「ポスト・バブル」という前世紀から連綿とつづくコンテクストもあれば、「東日本大震災(2011年)以後」という比較的近しいコンテクストもあるだろう。建築家がその初期段階の復興に有効な参与ができなかった後者を受け、とくに年長世代はみずからの職能に対する「自己批判」をした。伊東豊雄の発言や実践はその最たるものだろう。アートとしての、自己表現としての、批評としての建築ではなく、いま一度「社会」から必要とされる建築をかんがえるべきなのではないか——伊東は、そうした思想的転向をもとに、東北の被災地にて禁欲的な表現からなる一連の小さな集会場、《みんなの家》を多くの建築家と協働しながらつくりつづけている。
 「建てない建築家」が注目されるのはとくに日本にかぎったことではない。ニューヨーク近代美術館(MoMA)は2010年末に「Small Scale, Big Change: New Architectures of Social Engagement」展を開催し、発展途上国の集落や、経済的先国の都市に見られるスラムなど、コミュニティと濃密に関わりながら建築的な提案をおこなうプロジェクトを世界各地から集めた。展示されたプロジェクトは、いずれも物理的な空間や建築に関する内容を含むものの、従来のメディア上で賞賛されるような写真うつりのよいデザインは一旦度外視され、むしろ地域や人々に建築をとおしていかに貢献するか、どのようなプロセスでそれが可能か、という点のほうに重きが置かれるものであった。ここで強調されたのは「ソーシャル・エンゲージメント(社会参与)」としての建築の側面である。本展覧会が目指したのは、多彩なモダニズム運動が共有した、「人間の生活全体をデザインする」というヒロイックな「マスタープランナー」としての建築家の態度への批判である。
 403architecutre[dajiba]の建築は、基本的には、以上のような建築の世界的な流れのなかで理解することができる。彼らは2011年、大震災のあったまさにその年に事務所を設立した。ポストバブルの時代のなか、静岡県浜松市という地方都市に拠点を見出し、かつての建築家であれば誰しもあこがれる公共建築をつくることを目指すのではなく、小さな改修物件を連続的にてがけていくことを選んだ。まちづくり団体への参与やイベントの主催など、具体的なデザイン行為の外側も手がける。彼らには、モダニストたちに見られたヒロイックな「マスタープランナー」としての態度はまったくない。東京への一極集中がすすむなかで地方都市(という限定された小さな社会領域)で建築家に求められるか、そしてそこでどのような建築的な実践が可能であるかを、地道に検討しているように見える。

建築の実感可能性へ

 私は403architecutre[dajiba]と横浜国立大学で一緒に学生時代を過ごした人間であるが、いつからか辻琢磨が「実感」という言葉をよく使うようになったことを覚えている。
 「実感」とはなんだろうか? 浅子佳英は、2000年代日本の若手建築家には「しろく、ちいさく、透明で、やさしく、かわいいデザイン」や「長いスカートを履いた少女が、建物の内外をまるで草原を歩いているかのように描かれ」たドローイングが特徴的に現れることに着目し、その要因に妹島和世の影響やCADの普及を挙げつつ、これを「社会・国家」を介することなく「個人」と「世界」が直結される「セカイ系的想像力」の建築と位置づけた(「しろくちいさく透明なセカイ―少女時代の建築家たち」『ゼロ年代11人のデザイン作法』六曜社pp.201-202)。また2000年代には、卒業設計の日本一を決める大会が盛況し、実現を前提としないアイデアを競うコンペが数多く組まれるなど、若い建築学生が現実社会とは別離した地点でみずからの想像力を発揮することの増えた時代でもあった。辻の言う「実感」とは、総じてリアリティから浮遊する傾向を見せる2000年代の日本建築(というよりも建築メディア上)の主流を批判的にとらえ、建築を自身が身体的に触知できる範囲に引き戻そうとするキーワードであった。
 403architecutre[dajiba]の建築はそれゆえ、まず物質的であろうとする。白くも透明でもなく、表面をきれいに仕上げることもない。廉価な部材と施工手段をもってラフなデザインをはかる。仕事も、地方社会の具体的な人間関係のネットワークに連なるなかで、着実に創出しようとする。「セルフビルド」もひとつのキーワードだ。彼らは、せまい机のうえで「長いスカートを履いた少女」が駆けるドローイングに耽溺することなく、建物が建ち上がるプロセスに自分の身体をあえて介入させようとする。すべては「実感」に紐付けられている。「建築をつくる」ということに自分たちを徹底的に絡めようとする。それは滑稽なほど素直で泥臭く、しかしクリティカルな態度である。

 おそらく、彼らのこうした建築家としての態度がもっとも端的に表現されたのが、処女作に当たる《渥美の床》だろう。これは、マンションの知人宅の一室で、木片を組み合わせた床の設計であり、工期もフィーかえりみず、彼ら自身の身体を酷使して、なかば場当たり的にセルフビルドされた作品である。アマチュアによる手作業で実施された《渥美の床》は、結果的に微妙でなだらか起伏をもつ、魅力的な極小のランドスケープとなった。使われた木片はもともとは天井の部材である。こうした建築資材の転用は、「流動するマテリアル」と名付けられた彼らの設計手法である。

「建ち方」が検討されたインテリア

 今回、この原稿を書くに当たり見学させてもらったのは、《渥美の床》《渥美の扉》《渥美の個室》《鍵屋の敷地》《鍵屋の階段》《三展の天井》《三展の格子》《板屋町の壁紙》という浜松市街地の徒歩圏内にある作品群である。つまり、郊外の《頭陀寺の壁》、マンションの一室をリノベーションをした《海老塚の段差》、新建築吉岡賞を受賞した《富塚の天井》といった、比較的「建築」と呼びやすいスケールの作品(それでも十分小さいのだが)ではなく、かなり断片的で小規模な作品のみを集中的に見学したことになる(大部分の作品概要はウェブサイトhttp://www.403architecture.com/に掲載済であるので確認されたい)。
 浜松市内に点在する一連の作品を連続的に見学させてもらう体験は新鮮なものであった。作品自体がとても断片的であるため、作品→都市→作品→都市→…というふうに目まぐるしく体験が転換する。作品を見ながら、自然と、浜松という都市や、そこで生活する人たちに気が向かうようになる。個別の作品に没頭することのない、妙に心地のよい「散漫」な建築体験である。
 403architecutre[dajiba]の建築は、作品タイトルに象徴されているとおり、空間そのものを一新するのではなく、空間を構成するエレメントの部分部分に介入するだけにとどまる。そしてそれらは、壁や柱、天井や梁といった既存の躯体に積極的に依存してパライサイトするように建てられている。アートオブジェのように自立して置かれているわけではない。
 橋本建史は自分たちが建築に向かう態度を「すべてはコンテクストである」とまとめ、あらゆる事象やマテリアルは建築の制作のために発見的に再利用できると述べている(「野生から観測へ」『新建築住宅特集2014年11月号』p.5)。掴みどころのないフレーズではあるものの、なおある種の説得力を有しているように感じられるのは、彼らの作品自体がそうした態度を部分的にではあれ雄弁に語っているからだ。なるほど、彼らは既存のビルディングの構造や空間を「コンテクスト」すなわち立体的な「敷地」に見立てている。本来、建築が建ち上がるときの根拠となる基礎を、リノベーションプロジェクトである彼らの建築は当然もたない。代わりに、その構造的な根拠が既存の躯体に求められている。異物のようなマッスを吊り下げてつくられたロフトスペースの《鍵屋の階段》、そして美容室の小さな休憩スペースを格子戸の重ねあわせによってつくる《三展の格子》は、雑居ビルの一室で構造的な根拠や補助を、天井や梁にもとめて建てられたものである。
 彼らのプロジェクトは、建築が大地に「根」をはるための基礎をもたない根なし草でありながら、既存のビルディングの躯体に連なることで構造的に成立している。ビルの一室を敷地に見立て、構造の拠りどころをさがす彼らの考えかたは、ただしく「建築」的なものと言ってよいだろう。403architecture[dajiba]のプロジェクトが、いわゆる「リノベーション」一般からかんがえて特殊であるのは、それが既存のインテリアに過度には寄り添っていない、ということである。リノベーションする空間を尊重しながらも、材料や意匠表現はそれらとは慎重に「異化」させられている。それはちょうど、建築が敷地に建ちながら、厳密には基礎によって大地と切り離されていることと同じだろう。だからあくまでも、既存の空間が「地」=敷地に、介入された部分が「図」=建築に見える。
 建築は、内部空間のデザインであるとともに、それが建てられたことによって周辺環境に影響を与えもする。ゆえに敷地のなかでの「建ち方」が重要となる。アトリエ・ワンは、建築の「建ち方」に注目し、東京の狭小住宅を設計しながら、そうした小さな建築物のそなえる公共性や周辺環境への影響を考察しつづけているが、403architecture[dajiba]にも通じるところがあるのかもしれない。彼らのプロジェクトは、浜松にあるビルのなかの小さな一室の、さらにその断片的な部分にしか介入していないが、その介入された部分は、それが存立する一室空間や、あるいはビルや都市といったより大きなスケールの空間体験にもたしかな影響をあたえている。彼らの作品が提示する「散漫」な建築体験とはそのような質のものである。彼らはインテリアであっても、建築のように既存の空間的コンテクストのなかで「建ち方」を検討することにより、介入したエレメントのみならず、介入されたより大きな空間の双方にまで影響をあたえようとしているのだ。

無関心でもなく、ただ参加するでもなく

 403architecutre[dajiba]は、冒頭で触れた『美術手帖』の「建てない建築家」特集にも掲載されているし、私自身も彼らをソーシャル・エンゲージメントの建築家の流れのなかで基本的にとらえている。また、辻琢磨が浜松出身であることもあって、彼らを「地元の地方都市に帰って地域活性化に尽力する建築家」的に理解する人はきっと少なくないだろう。
 けれど、彼らのプロジェクト自体は、そうした見方とは異なる視角を提示しているようにも思われる。たしかに彼らは、地方都市の人的ネットワークや、その街にある建造物を土着的に活かしながら活動している。しかし、作品自体は、あくまでも既存の建造物や空間を「地」にすることで、そこに関係しながらもたしかに自律された「図」としての建築である。彼らの活動スタイルとしても、じつは地元人の辻がむしろ活発に東京やメディアへの対応をおこない、もともと所縁のない彌田徹がまちづくり的実践に深くコミットしているという。「ソーシャル・エンゲージメント」というコンテクストは、403architecutre[dajiba]をかんがえるうえで重要な要素であるが、あくまでひとつの「要素」でしかない。むしろ彼らは、手がけるプロジェクトが小さく断片的なインテリアであるものの、普通に旧来的な「建築家」の考えかたや態度を保持した主体である。
 彼らのプロジェクトは菊竹清訓のムーブネット、あるいは黒川紀章のカプセルのような、可変・流動する建築の軽やかさをそなえている。メタボリズムの可変性は成長時代における将来の発展を期待するポジティブな質のものであったが、403architecutre[dajiba]がもつ軽やかさは、地方都市に行けばすぐに見つかる建築ストックを利用すれば、差し当たりどこでも建築をつくることができるだろうという、ドライな現実認識の帰結である。そして私は、「地方都市の建築ストックを活用する」という状況よりも、そうした状況を背景につくられた彼らのプロジェクトが有する自律的な「建築」としての存在感のほうに興味がある。
 地方都市や地域コミュニティに参与しようとするとき、建築家はその圏域が発する「社会的な要請」に応答するため、地元住民との交流関係を形成しようとする。ワークショップの開催などがその最たる手段だが、そのようにして、できるかぎり地域コミュニティの「内側」に入ろうとするわけである。伊東豊雄の《みんなの家》や「Small Scale, Big Change」出展プロジェクトの多くがそうであるように、ソーシャル・エンゲージメントの建築が重きを置くのはこうしたコミュニティとの交流手段であり、設計プロセスである。建築的な表現や構成は差し当たり主題とはならない。総体的に言ってしまえば、こうしたプロジェクトは解釈や批評がしにくい。そうした行為には距離が必要であり、それゆえその行為遂行者をかならず域外者にするからだ。しかし域外者には結局、コミュニティの事情やプロセスは瞭然とはしないし、では完成された建築表現や構成を手がかりに解釈や批評をしよう——とこころみても、プロジェクトの主題がそもそもそこにないから、大した意味が見いだしがたい。ソーシャル・エンゲージメントの建築は「当事者」以外とても語りにくくなっている。
 こうした問題は現代アートにも同様に見られるもののようで、評論家の藤田直哉は、1960年代にはラディカルであった地域に根ざすアートの実践方法が、現在では骨抜きにされて「地域活性化」の道具に成り下がっていると痛烈に批判した(「前衛のゾンビたち——地域アートの諸問題」『すばる』2014年10月号)。ソーシャル・エンゲージメントの建築が掲げる「住民参加」や「ワークショップ」も、本来は近代建築批判をおこなった1960年代のラディカリズムをルーツにするだが、現代アートが「地域アート」という「ゾンビ」に化けてその批評性・急進性を失ったように、地域の振興や価値創成に与するただの道具になりつつある、と言えるのかもしれない。
 403architecutre[dajiba]は少しちがう印象がある。ゲオルグ・ジンメル風に言えば、彼らの建築は「よそもの」としてある。ここで言う「よそもの」とは、「今日来て明日どこかに行く人」ではなく「今日来て明日もとどまる人」という「潜在的放浪者」のことである。ある一定の圏域にとどまりながら、しかしそこに同一化することはなく、外部的な目線を保持しながら存在しつづける人間。それが「よそもの」である。「よそもの」はそれゆえ、客観性を圏域内にもたらす。「よそものはその根本からして、集団の特異な構成要素や一面的な傾向には固定されていないため、これらすべてに「客観性」という特別な態度をもって向き合っている。これはたんなる距離や不参加ということではなく、遠さと近さの、無関心と参加の特別な混合物をさしている」(北川東子編訳、鈴木直訳『ジンメル・コレクション』ちくま学芸文庫p.252)。
 ここでジンメルを引用したのはたまたま最近読んでいたからに過ぎないのだが、しかし、この「遠さと近さの、無関心と参加の特別な混合物」として「よそもの」をとらえる視点は、403architecutre[dajiba]を評価するうえで重要な気付きをあたえるものである。彼らの建築は、浜松というひとつの圏域とそこにある建造物のうえに成立するものであるが、他方では過度に寄り添うことはなく、そこから異化された建築作品として既存の空間から浮かび上がってくる。ソーシャル・エンゲージメントのプロジェクトが、圏域に近づき・参加しようと志向するのに対して、彼らのそれは、同時に、より遠くに・無関心に存立しようともしているように見えるのである。

そうしてつくられた彼らの建築は、実際に地域の何らかを「活性化」したり「振興」したりするわけではないだろう。あくまでも断片的に「介入」しているだけである。けれど、そうした彼らのプロジェクトを連続的に「散漫」に体験することをとおしてこそ、浜松がどのような街であったのかを、域外者なりにある程度よく理解することができたのである。コンテクストから「よそもの」として微妙に切り離されているからこそ、見学者には「当事者」とはことなるその圏域への見方、解釈がひらかれている。そのような「建ち方」をした彼らのプロジェクトを好ましく私は思う。

市川紘司( いちかわ・こうじ)

1985年東京都生まれ。中国近現代建築史。2013-2015年中国政府奨学生(高級進修生)として清華大学建築学院に留学。現在、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、東北大学大学院工学研究科都市建築学専攻博士後期課程。編著書に『中国当代建築——北京オリンピック、上海万博以後』(フリックスタジオ)など。