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座談会:「限定」がひらく複合性-403architecture[dajiba]の作品とそのコンテクスト-


日時:2015年5月31日(日)17:00~18:30
場所:浜松市「鍵屋の階段/The Stairs of Kagiya」(写真1)


辻琢磨(403architecture[dajiba])
山道拓人(ツバメアーキテクツ)
千葉元生(ツバメアーキテクツ)
市川紘司(東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手)
川井操(滋賀県立大学助教)
石榑督和(明治大学助教)
オブザーバー:戸田穣(金沢工業大学講師)

市川:403architecture[dajiba](以下、403)は、これまでも様々な建築メディアで注目されていますが、その多くの語られ方は、「地方都市で小さなインテリアを連作でつくる」という活動スタイルや、そうした活動を若い建築家が実践するという社会や時代の背景に焦点を当てるようなものが割合多く見られます。一方で、「作品そのもの」を批評するものは少ないように感じていました。せっかく、今日日中の時間をつかって辻さんに一連の作品を案内していただいたので、この座談会ではまずベタな作品論からはじめられればと思っています。
 まず、今回の作品見学に同行していただいた同世代の建築家であるツバメアーキテクツ(以下、ツバメ)の山道さん、千葉さんから、感想などをよろしくお願いします。


作品のメンテナンス性

山道:以前、辻さんから403の活動を展開していく上で、活動範囲やテーマに、どのような「限定」をするか、という話しをされていました。本日403の作品を廻ってみて、その「限定」の範囲がちょっとずつ拡がっていく方向にあるのではないかと感じました。
 作品への質問としては、この4年間、作品に用いた素材の耐久性を実験していった結果、うまくいったところ、うまくいかなかったところを教えて頂けますか。

 辻:耐久性というか、時間をどうプロジェクトに組み込むかという話で、うまくいったところとしては、例えば「渥美の床」や、「三展の格子」などに顕著ですが、もともと存在する廃材と、新材等、異なる時間軸をもった素材を組み合わせることで、プロジェクトが時間の経過をすんなり受け入れられているように感じます。うまくいかなかった点というか、良い部分でもあると思うのですが「メンテナンス」ということはあると思います。例えば、「板屋町の壁紙」では、倉庫側のバーティカルブラインドの壁紙のテンションが弱まってきていたので、それを引っ張り直して補修したりだとか、「大門の目地」ではそれぞれの部材を緊結した六角ナットが、冬場に木がやせて緩んできたので締め直したり、そういった、事後的なメンテナンスはいくつかのプロジェクトで行なっています。
クライアントと日常的な関係を築いていることもあって、「ちょっと緩んできたよ」とか連絡があれば、その都度メンテナンスに入っています。そういったメンテナンスが自然とできていることで、プロジェクトが生かされいるのではないかなと思います。

市川:継続的にメンテナンスをする、とのことですが、手がけるプロジェクトが増えていくと、必然的に少人数の事務所ではまかなえなくなっていきますよね。活動のサスティナビリティに関する問い、と言ってもよいかもしれませんが、今後どういった対処を考えているのでしょうか。

 辻:メンテナンスできる環境を用意しておくことは、当初から考えていたことです。作品の瞬間を切り取った強度ももちろんあってしかるべきですけど、いかに持続的にプロジェクト自体を続けていくのかということも、もう少し建築の価値として築いていきたいなという気持ちを個人的には強く持っています。
 今回お見せしたプロジェクトの多くは、クライアントというより、例えば髪を切ってもらったり、猫の面倒を見てもらったり、お土産を渡したり、日常的な関係の方が自然だということもあり、その延長でメンテナンスをしている感覚があります。そうした経験を、どのように業態としてのメンテナンスにつなげていくのかは、考えていきたいですね。
 今後、ある程度ネットワークから外れたところから仕事が来るとすると、クライアントとの関係性によって価値のチャンネルが変わってくるはずです。その価値の変化から建築について考えることに可能性を感じています。ただ、そのネットワーク内の限りにおいては、貨幣価値に無理やり置き換えようとすることは不自然だと思っています。

市川:クライアントとの距離感や、あるいはもっと端的に「物理的にどれくらい離れているか」という距離に応じて、その都度、冷静に判断をくだすわけですね。ある程度メンテナンスをできる距離にあるプロジェクトは、よりラフな作り方が可能、それが容易ではない距離では耐久性をより考慮する。そういう感じでしょうか。

 辻:ただ、そうしたラフなつくり方に関していえば、メンテナンスを前提としているわけではないです。クライアントの要望だとか、その時に選択した素材や構造等を総合的に判断していった時に、結果的にそうなった、という感じです。
 もちろん、事務所とプロジェクトとの物理的な距離も建築がつくられるための大事なコンテクストの一つであると思っています。だからといって、この付近だけで活動していきたいというわけではなく、それぞれにあったコンテクストの状況の中で考えたい。その中で、建築家とクライアントとの位置関係もコンテクストとして考えられるべきじゃないかなと思っています。

プロジェクトとの物理的な距離

千葉: 403の活動が個別の作品の感想として語られづらいのは、扱われているモノや人が何かと結びついていて、作品を作る事でそこに新しい関係性が作られているからだと思います。つまり、個々の作品を語ろうとすると、浜松の別の場所にあったモノの話や別の作品の施主の話をしなければならない状況ができている。そうした話がどんどん連鎖していくため、個々の作品を超えて403の活動全体がひとつの作品のようにもみえてくる。それがおもしろいわけですが、一方でこのおもしろさは、先ほどの話にもあった物理的な距離のコンテクストや今の規模だから成立している側面があるかと思います。今後、住宅あるいはプロジェクトとの物理的な距離が生じたときに、どう展開、あるいは対応するのかに興味があります。そこを議論できれば、403の活動を個別の作品としても位置付けられるのではないかと思います。


 辻:実は最近、宮古島で幼稚園の遊具をつくるプロジェクトを行いました。「花園のブロック」といいます。発端として、浜松の市街地に位置する、静岡文化芸術大学の卒業生の友人が宮古島の出身で、彼のお母さんが園長先生という繋がりでした。新園舎への建替に伴い、旧園舎で使われていた何らかの素材を使って新園舎で園児が使う遊具をつくってほしいという依頼内容で、具体的には、旧園舎で使用されていた小さな木製椅子を再利用して、子供が使える遊具に転用するというものです。現地に滞在して制作した期間は5日間でしたが、事前に一度現地に訪れ、旧園舎で使えるマテリアルとしてこの椅子を選定したのです。そこから実物を郵送していただいてモックアップを作ったり、スカイプや浜松での息子さんの卒業式にあわせて何度か打ち合わせを行い、コミュニケーションを図りました。最終的には、新園舎の工房スペースでの、園児たちとのワークショップまでを含めたプロジェクトとなりました。
 モックアップでスタディしていく段階で、上梁から飛び出ていた天板と下梁以下の脚を切断し、凹凸をなくした直方体のような状態にして、テトリスのように組み合わせられるように設計しました(写真5)。
 それらを組み合わせることで、トンネルのような場所ができたり、ジャンプ台に使われたりだとか、子供たちがまちを設計するような状況をつくりたかったのです。
 このプロジェクトでもテクスチャーには気を使っています。元々の椅子の色は、木の素地、赤、青でした。全体の統一感を生むために、天板から下は白く塗装することとし、塗装作業は事前に幼稚園の方々にお願いしました。それはベタ塗装だったのですが、僕らが現地でやすりがけをして、テクスチャーをまだらにし、元々の色と新しく塗装された色の表情が混ざるような仕上げを目指しました。沖縄では、アメリカの影響もあって、RC造の建物が多く残っています。それらは、基本的には柱梁のラーメン構造で、外装はカラフルに塗装されたものが多いのですが、塩害でペイントが剥げてくるんです。その質感もモチーフにしていて、子供たちが遊んでいく中で沖縄の建築の歴史、風合いを感じてほしいという思いもありました(写真6)。
 物理的な距離は遠かったのですが、その場所のコンテクストをどう吸い上げて転用するのか、という点ではこれまでのプロジェクトとある程度同じようなスタンスで取り組んでいたと思います。
 当然、距離が離れているので、職員さんに対して、「こういう風に使ってください」という簡単なレクチャーをしたり、実際に園児や保護者の方々と使用して遊ぶワークショップまで行ないました。これが、今のところ一番遠いプロジェクトですね。

千葉:403の活動は、一見地域的な活動に見えるけど、地域に縛られないやり方でできているのが面白いですよね。沖縄にいってもその手法がそのまま使えている。いわゆる地域的な作品はその土地の構法をそのまま使うとか、別の場所で使うとナンセンスだったりすることがありますが。

構築的に出来ている

山道:プロジェクトの依頼に対して「機能」が閉じていない、という印象を持ちました。例えば、基本的にインテリアのリノベーションには、具体的な機能に対する要望があると思います。一方で、403のアウトプットをみると、もちろんそれが達成されているけど、そうじゃないところに開いている、複合性を感じるようなものが多いですよね。

 辻:それは403の三人でも共有していると思いますね。そうした複合性が一つの建築の価値につながる、という認識を皆が持っているのだと思います。

石榑:作品の感想として、極めて構築的にできているな、という印象を受けました。「三展の天井」、「三展の格子」、「板屋町の壁紙」しかり、構築的な組立でできている。一般的なインテリアのリノベーションでは、室内をどんな世界にするかと考えることが多いように思いますが、403の作品は既存のインテリアから独立したようなかたちでつくられているのが特徴的だと思いました。マテリアル・フローを考える上でも、部材を転用すれば、往々にして細分化して使うことになるように思います。天井などインテリアに使われていた部材を転用するのであれば、資材性の問題からもそれが自然と思われます。「渥美の床」や「頭陀寺の壁」などは、部材を細分化し面をつくっていると言えます。しかし、今日見せていただいた作品の印象は、そうではなく、極めて建築的な構築性を持ったものでした。
 それから今日辻さんの説明を聴きながら一番印象的だったのは、古いビルの中で仕事をするときに、インテリアを「敷地」と見なしているという話です。スケルトンとの関係のなかで、既存の建物から独立的な物をいかにつくるのかということが試みられていることを感じました。
 そうしたつくり方が、山道さんのおっしゃるプロジェクトの依頼に対して「機能」が閉じていないという話につながるのではないかと思います。

山道:作品がプログラムから独立した場所にもなっていて、そこにいる人が自由にふるまえるにようになっていますよね。「部屋」のようだけど「オフィス」のようだし、「ショップ」のようだけど何々のようなというように。

 辻:それは、クライアントが元々感度の高い方々だったことも大きいですね。はじめて林さん(「三展の格子」のクライアント)の美容室を訪れたとき、美容室だけど美容室っぽくない感じがしました。いわゆる近代的で建築計画学的なプログラムとは全然関係のない、空間の使われ方、あらわれ方で本当に衝撃的だったんです。犬がいて、跳び箱があって、「何々っぽさ」をどの場所からも感じられない。それは、彼らが生きるためにどうしたらいいか創造的に真剣に考えた結果、直感的、本能的に、創造的に、生まれたオリジナルな空間だと思います。専門的な見地とは別の次元で、浜松という地方都市の市街地で、企業に属さない個人がいかにサバイブしていくかを考えた結果だと思うんです。僕たちは彼らの実践から学ばせてもらっているという気持ちが強くあります。
 例えば学生当時の僕が解釈していた現代建築、特に日本の現代建築の可能性は、どうすればより多くの、多様な他者を受け入れられるか、その他者が自由に振る舞えるような空間をつくることができるか、ということに集約されると思っていました。そうしたことと一連の浜松での出来事とがリンクして、より実感を持って考えることができました。建築教育のなかだけでは、何故「原っぱ」的な建築がいいのかわからなかった。要求される機能から形をつくるのではなく、独自のルールやダイアグラム的な作り方によって、形式性と自律性を持った建築を考えることが、どうやら面白いのだろうということはわかっていたし、メディアを通して自分もよく見ていましたけれど、その価値をどうしても実感できていなかった。ある機能の概念に縛られないことのすばらしさが、大学の建築教育の中では、本来的な意味ではわからなかったんです。

石榑:まち、あるいは人から「学んでいる、教えてもらっている」というのが、辻さんの実感として強くあるんだなと、ツアーの説明のなかから伝わってきました。

主語が単一ではない活動

川井:僕は滋賀県で大学教員をしています。大学のある彦根市でも中心市街地や周辺地域の学生によるリノベーションプロジェクト等頻繁に行われていますが、なかなか「作品性」に結びついていないと感じています。今回、ツアーに参加するにあたって、その「作品性」の違いが何なのか知りたかった。
当初、一連の403の作品について、素材感がそれを生み出しているのではないかと思ったのですが、辻さんとクライアントの会話、空間の使われ方をみると、「言語」を共有されていることが大きいのだと感じました。例えば「三展の天井」は「天井」だけど「物をかける」「おく」「しきる」といった言葉として成立している環境ができていますよね。単純だけど意味性を帯びた言語化が403とクライアントの間でしっかりできていることが、「作品性」に結びついているのだと感じました。


 辻:三人の中で、プロジェクトに対する感覚は、それぞれ微妙に同じところ違うところはあるのですが、僕自身は「言語」に対して特に関心があるのだと思います。例えば、この「鍵屋の階段」の目地の割り付けについては、クライアントと「言語」の共有がありました。クライアントに「この建築は目地を380mmで全て揃えてるんだよ」と伝えると、彼は「鍵屋の階段」の竣工後に自分でつくった棚の寸法を380mmで揃えてくれたんです。クライアントは「380mmで揃えたよ」と自慢げにいってくれて、それは非常にうれしかったですね。

川井:「渥美の床」を拝見させていただいて、リビングを仕切る格子について、辻さんに「この格子の設計施工も403ですか?」と質問したのですが、「これは+ticという知り合いで、僕らよりも若い設計事務所が設計施工したものですよ」と返答がありました。設計者や作り手が違っても、それぞれがおそらく「言語」を共有しているから、作品が誰のものかわからない、だけど統一された印象を受けました。

 辻:「渥美の床」の住戸は、今は僕の高校の同級生が住んでいて、仕切りの格子は彼が+ticにお願いしたものです。ただ、元々は「三展の格子」のクライアントである林さんが住んでいて、ほとんどご自分で、セルフビルドで全体の空間をコントロールされていました。「渥美の床」がある部屋は、林さんが壁の色を、グレーに少しだけ紫を混ぜたような絶妙な色で塗ってくれていた。林さんの感性が入っているといえばいえるし、行為を切り分けていけば、ここは誰々、ここは誰々、となりますが、この空間全体を我々が設計したという意識はない、と同時に一つのプロジェクトであるとも捉えています。その他のプロジェクトも、単一の主体がそれを担っているというよりは、例えば「カギヤビル」という主体が主語、あるいは「三展ビル」、さらにいえば「浜松全体」が、というところまでその主語を拡げられるかもしれない。僕は、人間以外の、関係性自体が主語になるような活動にすごく興味があるのだと思います。もちろんプロジェクトをメディアに発表した時に、切り取られた構築性をどう担保するのか、そしてそれを建築のプロフェッションとして見せていかないといけない、という思いはあります。しかし、今は、主語が単一の主体ではないプロジェクトの開かれ方、まちがつくり、まちが教え、まちから学ぶといった人間以外の主語で物事を考えることの可能性を追求したいです。

慣習からのずらしかた

山道:「まち」や「施主」のコミュニケーションに加えて、慣習的な建築の要素が新しく解釈されているという印象を受けました。例えば「床」「天井」「階段」といったように、作品のタイトルには、場所の名前と建物の慣習的な部位がセットになっていますよね。だけど、つくりかたは決して慣習的ではない。「天井」なんだけど、それをゼロから発明している、という印象があります。内装屋さんのつくる「天井」とは違うし、でも誰がみても「天井」だし、「壁」だし、「床」だし。

石榑:特に既存のスケルトンから切り離されている部分がある、というのが重要じゃないかと思いました。

 辻:慣習からの「ずらしかた」というのはすごく意識していると思います。仰るように、例えば「三展の天井」では、ヴォリュームを四周の壁からセットバックさせていて、この操作はこのプロジェクトにとって非常に重要です(写真8)。「天井」がヴォリュームとしてもみえることで、天井以外の見え方を担保してくれるんですよね。構築性も大事ですけど、同時に複数の意味が認識できるように、というのは三人で共有できているんじゃなかと思いますね。新築と同じ感覚で取り組んでいるともいえます。周辺環境に対して、どういった構築性をそこに挿入したらいいのか、いま進めている新築物件でも同じように考えています。

千葉:「天井」といいながら、慣習的な天井としてのあり方を異化していて、違う使い方が想起されるようなものになっていますね。それが要素以上の意味を生み出しているように感じました。

 辻:逆説的かもしれませんが、山道さんが最初におっしゃった「限定」することが、意味を広げるということはあると思います。すこし踏み込んでいえば、「限定」を生み出す「名前」について最終的に三人で議論して決定してはじめて、メディアに発表できる作品性を持つのかなと思っています。個人的にはですが、「名前」がつかないと何なのかよくわからない。「屋根」とは何か、「天井」とは何か、「階段」とは何か、それぞれの歴史に接続して、そこから学んで、このプロジェクトはこういうことだったんだ、と教えてもらう。作っているときはがむしゃらなので、それがなんなのかよくわからないことが多いんです。「名前」をつけて、しばらくたって「言語」が追い付いてくる感じです。
 だから正直、進行中のプロジェクトを紹介しても、なかなかうまく説明できないんですよね。
 新築の物件でも小さな内装物件でも、両方にいえることですが、名前もそうですし、予算、施工図、大工さんとの打合せ、竣工後の使われ方まで含めて、扱うコンテクストをギリギリまで増やして統合していかないと、そのプロジェクトの強度になっていかないのかなと思います。
 もちろん、模型や図面でその建築の核心を理解できるような、建築の抽象性の価値は重要だと認識していますが、もっと建築に入れ込めるコンテクストがあると思います。それをなるべく多く拾っていきたい、という気持ちはすごくありますね。
 それはきっと、西沢立衛さんから学んだことも大きく影響していますね。模型やダイアグラム、平面図だけでもその建築が伝わって、プロジェクトを生で見てもさらに広がりを感じるような抽象的な建築のつくりかたに対して、とても共感するし、単純に刺激的だなぁと思います。ただ、一方でその反動がずっとどこかにありました。それは、建築の素材感、施工、地域性、施主とのコミュニケーション、事務所の位置、自分自身の生活の仕方、解体、運搬といったような、これまで自分が考えられていなかったことがたくさんあって、それが建築の強度を支えるコンテクストになりうるのではないかと考えるようになりました。

川井:4年間の中で自分たちの実践とその教育的なバックグランド、西沢さんに教わってきたことが整合されてきた感覚はありますか?

 辻:それは正直わからないですね。建築と都市とランドスケープを分け隔てなく、まるごと、一体的に考えるということは、西沢さんからだけではなく、Y-GSAで教育されたと思っていますし、そうでなければ「床」から都市を語るという発想には絶対にならなかったはずです。ただ、全然比較にならないぐらい、僕らと西沢さんとの距離は途方もなく離れていると感じています(笑)。

建築教育からの反動

市川:一連の作品に共通する表現として、構造材をそのまま表現としたり、あるいはリノベーション時には仕上げを剥がしたりする手法が見られましたが、こういった手法はどのように選択されたものでしょうか。長坂常さん、ラカトン&ヴァッサル、シグーなど、仕上げを剥がすことを好む建築家は近年目立つように思います。そうした表現は、ときには経済性の観点から選ばれることもあるだろうし、ときにはそうしたラフな表現こそが現代的なラグジュアリーの感覚を生じさせるという美的な観点から選ばれることもあるはずです。403architecture [dajiba]あるいは辻さんがこうした表現をもとめる動機をお聞きしたいです。

 辻:都市という大きな対象に対してフィクショナルな提案を求めるY−GSAの教育方針に対する反動はすごくありましたね。
 2009年に建築家の西田司さんに協力していただいて、「ヨコハマアパートメント」の竣工前に一階のピロティで展覧会をやらせていただいたんですが、その時に、その反動がすごく出ましたね。使用した素材は、ヨコハマアパートメントの施工中に実際に使用されていた仮囲いで、リース期間を延長してもらって展示資材として転用しました。まずはバラして、単管なら単管でオブジェをつくったり、布板は布板で積んで椅子にしたりと材の種類ごとに集めて、構築していきました。そのモックアップをつくるために2tトラックを借りて、資材を大学に持っていったんですが、その時に「ものを運ぶこと」とか「バラすこと」とか、建築に関わることなのに今まで誰も教えてくれなかったと思ったんです。大学教育でも本を読んでも、こういう風に都市ができるとか、建築の構成ができるとか、つくることばかりを教わっていた。「壊すこと」、「動かすこと」への想像力を僕自身持ち合わせていなかったので、考えてみたかったんですよね。
 もうひとつの大きな影響は、独立する前に関わった、浜松のまちづくりでの経験で、空き室をリノベーションして地元の学生に住んでもらおうというプロジェクトでした。そのなかで解体現場を見せてもらったときに石膏ボードが山積みになっていて、「石膏ボードは買うよりも捨てる方が高いんだよ」って言われたときにすごく衝撃を受けたんです。つくることにおいては、石膏ボードは切りやすく、軽く、耐火性能もあって、安い。夢の素材ですよね。一方で、捨てることを考えると、職人さんが粉まみれになって、土嚢袋につめて、トラックに積んで処分場に運んでと、すごく手間とコストがかかるということがわかった。それで、つくることと、壊すことをどうやったら同じような地平で捉えられるのか、ということを僕なりに考えたんですよね。それで、「動かす」というテーマが出てきました。「ものを動かすこと」をテーマにすれば、「つくること」と「壊すこと」の両方を扱えるのではないかと思ったんです。
そういう議論の中から、「マテリアルの流動」という手法が生まれてきたのですが、初期のプロジェクトでは、実際の資材としてのマテリアルを流動させるということに取り組んでいました。そこから次第にその解釈が広がっていって、素材だけではなくて、人なのか、慣習なのか、歴史なのか、そうした様々なコンテクストも流動させられるマテリアルとして今は捉えようとしています。つくることだけが前提ではなく、既存のコンテクストをどう引き受けて、どう変えていくのかを前提にした思考方法だと思うんですよね。これは建築にもまちづくりにも有効に機能する、と実感しているところです。4年間やってきて、活動のチャンネルが拡がってきたという気はしますね。

403architecture [dajiba]とツバメアーキテクツ

市川:辻さんたちは浜松市という地方都市をベースに活動されていますが、山道さんと千葉さんのツバメアーキテクツは東京をベースとしています。二組は同世代の若手建築家であり、また小規模なインテリアを多く手がけている点で、問題意識や活動方針につうじるところがあるのではないかと思います。それぞれがそれぞれをどのように見て、評価しているのか、興味があります。

 辻:僕はツバメさんたちの活動からはある種のベンチャー感をみているんです。それからクライアントがとても現在的で面白い。「荻窪家族プロジェクト(http://tbma.jp/lab/636/)」でクラウド・ファンディングを積極的に使ったり、八百屋さん(旬八青果店2号店: http://tbma.jp/design/interior/386/)も新しい業態を目指してブランディングとセットで提案されていますし、北海道日本ハムファイターズ CLUB HOUSE(http://tbma.jp/design/architecture/676/)もそう。シェア・オフィスやシェア・ライブラリーという新しく名付けられるプログラムを発明した若手の起業家たちと、言葉のチャンネルが合っているのではないかと感じています。
 そういうチャンネルをうまく次の仕事に繋げていて、クライアント同士の実際の繋がりはわからないけど、朝日新聞や日ハムといった大きな企業体との仕事につながっている気がします。マジョリティーが感じるベンチャー感を引き出して、自分たちの作品性にうまく転用している。そういう意味でのベンチャー感です。コミュニティデザイン的なアプローチとは違う、そういったベンチャー感を引き出している事務所は希有だなと感じています。

東京で生まれる新しいプログラム

山道:ベンチャーというのは社会の際、社会のフロンティアということの言い換えだと思います。僕らは東京におけるまだ多くの人々にとって目に見えてきていない課題を建築的に解釈しようとしています。東京の場合は新しい活動形態がどんどん増えていて、例えば今までのプログラム、あるいは法規の外側で「これとこれを組み合わせてこういう教室をやりたい。かつ収益も産まなければならない」という依頼に対して、今の法規に当てはめて成立させるという仕事をこれまでしてきました。そういったことをひたすらやっていると、最近は「ここで成立しうるプログラムから考えてください」というような依頼が来るようになった。本当はクライアントが運営をするのだから、クライアントが考えるべきなんじゃないかと思うようなことも依頼されるようになってきましたが、一緒にプロジェクトの風上から構築します。

 辻:少し言葉が強いかもしれないけど、「ツバメはマジョリティーに受ける」と言ったらいいのかな。

市川:403は地方都市浜松のマイノリティーに対するものがあり、一方でツバメは東京のマジョリティーの大きな資本に対して仕事をしているという印象があると。

山道:いや、東京と地方の対立軸はあんまりないのではないかと最近思っていますし、資本に寄り添うというよりはマジョリティーがかかえる社会問題について考えています。

 辻:そうですね、東京と地方というよりは、マジョリティーとマイノリティーです。僕らの言葉は例えば、朝日新聞に届かないですよ。僕らも浜松の大きい企業、たとえば私鉄会社や不動産会社との仕事もあるんですが、踏み込みすぎてしまうのか、そういった企業とのプロジェクトはペンディングすることもあるんです(笑) 。そういうところにツバメは言語のチャンネルがうまくチューニングできているなと、僕は見ています。「資本」の匂いがするかしないか、と言ってしまえばそれまでなのですが。

山道:それは少し誤解がありますね。僕らがやっている大企業との仕事は、事業の資本規模としてはクライアントと僕たちがほぼ同等になるような仕事なんです。

 辻:いわゆるCSRとかCSVという文脈ですか。

山道:それを超えたいですね。CSRというのは現在すでに定着しているソーシャルグッドな領域へのアクションだと思いますが、それ以上に領域開拓的で実践的な発明的な一手と言いたいです。
 東京にも実は濃密なローカルがあって、それに向き合わないと社会が壊れてしまうと大企業が気づき始めていて、このままでは立ち行かなくなると感じているんです。このままの状況で新築の不動産をこれ以上つくっても、回らなくなるという危機感がある。
 観光の話で、たとえばギリシャだと人口約1,100万人に対して、約2,200万人の観光客が訪れているんですが、日本は1億2,700万人の人口に対して、約1,340万人しか観光客が訪れません。観光客を受け入れる場所も少ない。こうした状況やローカルな問題に、率先して取り組まなければならないという認識が各社にあり、そのなかで新しい業態を考えようという動き出てきています。
 朝日新聞の場合は、メディアラボという社外との関係性をつくる拠点となるような場所が築地の本社ビル内にあったんですが、立地の問題からあまり有効活用されていない印象がありました。それが、渋谷駅の近くに公園のような場所(朝日新聞社 メディアラボ渋谷: http://tbma.jp/design/1012/)をつくったら、立地的に駅から近く行きやすくなったということもありますが、よりいっそう社外のいろいろな人が訪れるようになった。企業がローカルのことをやり始めているんです。

 辻:そういうことにツバメはフィットしていると。

山道:東京の中にも独特の活動やそれに伴うローカリティがあります。そこから建築を考えたい。

千葉:さっき辻さんが言われた、ツバメはマジョリティーに対して仕事をしているという話は、僕は感覚的にはわかります。ただし、それは資本に対してという意味ではないです。いまは大きな企業からも、何をつくったらいいのかわからない、どういうふうにつくったらいいのかわからないから提案してほしいという依頼があって、それは今までにない機能や自由さを企業が求めて依頼をしてきていると思うんです。近代的なプログラムに属さないものになることも多い為、申請のときに困ったりもするんですが。そういう意味でも中盤に話していた、機能に縛られないことの自由さという話にもすごく共感しています。
 そういうときにマイノリティーを相手にしてこそできることと、大きな企業に今までにない機能や自由さを求められたときにできることが大きく違っているだけというような気がします。

 辻:そうですね、前提条件も、そのプロジェクトが果たすべき役割も違いますからね。

千葉:僕らはそのときに慣習的なあり方から構成をどうずらすかが決め手になると考えています。
 例えば、既存の八百屋さんは、後ろにバックヤードがあって、手前に店があるという構成ですが、旬八青果店では壁を通常より前にせり出し、店舗部分のプロポーションを変えて、そこを貫入するようにキッチンをつくることで違う関係性を生むような、既存のあり方をずらしていくようなことを考えています(旬八青果店2号店: http://tbma.jp/design/interior/386/)。小さくなった店舗では、道までものが溢れでたり、キッチンが近いゆえにお客さんとコミュニケーションがとりやすくなっていたりしていて、大きくなったバックヤードには一坪程度の冷蔵庫をおいて、他の店舗への配送機能をもたせることが可能となってます。

 辻:そういった、慣習へのアプローチにはとても共感できます。

千葉:構成をかえることで、画一化した機能のあり方からずらし、いわゆる「オフィス」や「ショップ」などというように一括りにされた近代的なプログラムを、もっと自由な空間に更新していくような意識を持っています。こうした態度が、いまマジョリティーと呼んでいるような企業にもうけているのではないかと思います。誤解がないようにいっておきたいのは、マジョリティーを相手にどんどんやって行きたいという訳ではなく、たまたまそういう仕事が今多くきているだけで、住宅など個人を相手にする仕事も積極的に取り組んでいます。

建築家の立ち位置と必要とされる場所

山道:マジョリティーとポピュラリティーというのは、微妙にずれていると思うんです。僕らも気をつけながら仕事をしているんです。そばに辻さんみたいな人がいると(笑)。

 辻:それはよくわかります。僕らも例えば、良くも悪くもなのですが、「若者が地域に入り込んでセルフビルドをやっていて元気だね!」という見られ方をしばしばされることに対して、強く意識はしていますよ。それは、「建築」がいかに消費されずに、続いていけるかということ、この一点に尽きるわけです。

山道:それから建物が建ち上がるときの力学には、自覚的にならなければならないと考えています。人間には集まる場所や生きるための場所が必要です。いま東京、あるいは日本で建物ができるときには大きく3つ動きがあると思っています。一つ目は先進国における試みや新しいテクノロジー、二つ目は少子高齢社会における高齢者や子供の居場所について、三つ目は成熟国家におけるストック利用をどう考えるかということです。それに対して提案をしているという自負はありますね。だから、お金に寄り添っているというよりは、建築家はマジョリティが抱える問題が広がる中、どこへ出向き、何に建築的思考を使うべきかということに純粋に答えているつもりです。

《プロフィール》

辻琢磨 つじ・たくま
 1986年静岡県生まれ。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA 修了後、Urban Nouveau*勤務を経て、2011年より403architecture [dajiba]共同主宰、メディアプロジェクト・アンテナ企画運営。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞。

山道拓人 さんどう・たくと
 1986年東京都生まれ。株式会社ツバメアーキテクツ代表取締役。東京工業大学卒業、東京工業大学大学院修了。博士課程在籍の傍ら、2011年株式会社ツクルバ参画、2012年Elemental勤務(南米チリ)、2013年より株式会社ツバメアーキテクツ共同主宰。現在、一般社団法人HEAD研究会フロンティアTF副委員長、東京理科大学非常勤講師。

千葉元生 ちば・もとお
 1986年千葉県生まれ。株式会社ツバメアーキテクツ代表取締役。東京工業大学卒業。スイス連邦工科大学に交換留学、Jonathan Woolf Architect London務の後、東京工業大学大学院修了。慶應義塾大学テクニカルアシスタントを経て2013年より株式会社ツバメアーキテクツ共同主宰。現在、東京理科大学非常勤講師。

市川紘司 いちかわ・こうじ
 1985年東京都生まれ。中国近現代建築史。2013-2015年中国政府奨学生(高級進修生)として清華大学建築学院に留学。現在、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、東北大学大学院工学研究科都市建築学専攻博士後期課程。編著書に『中国当代建築——北京オリンピック、上海万博以後』など。

川井操 かわい・みさお
 1980年島根県生まれ。滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科助教。滋賀県立大学卒業。同大学大学院修了。博士(環境科学)。都市計画・建築計画。北京新領域創成城市建築設計諮詢有限責任公司、東京理科大学工学部一部建築学科助教を経て、現職。

石榑督和 いしぐれ・まさかず
 1986年岐阜県生まれ。明治大学卒業。同大学大学院修了。博士(工学)。都市史・建築史。共著に『盛り場やヤミ市から生まれた』ほか。2015年日本建築学会奨励賞受賞。