布野:今、文部科学省は、グローバル人材の育成ということでやっきになっていますね。大学には、国際化せよ、というプレッシャーは相当かかっています。一方で、COC(Center of Community)といって、地域のことをもっとやれ!ともいうんですが、国際的に開いていかないといけない日本の現在がありますね。楽天やユニクロなどは、社内は全て英語で会議するという時代ですね。
布野:英語、英語と言われると、英語帝国主義という言葉が思い浮かびます。日本と同じような島国の英国の言語がこれほど世界を制覇しているのは、かつて七つの海を制覇した大英帝国の歴史があるからですよね。その最大の版図は1930年代で、地球の陸地の4分の1になります。植民都市研究を開始するにあたって、R.ホームの『植えつけられた都市英国植民都市の形成』(布野修司+安藤正雄監訳:アジア都市建築研究会訳,Robert Home: Of Planting and Planning The making of British colonial cities,京都大学学術出版会,2001年)を読んだんですけど、その冒頭に、歴史上の帝国主義者の中で最も偉大な都市輸出者で、「スポーツ、娯楽、英語の他に、アーバニズムは大英帝国の遺産を最も永らえさせている」といった誰かの引用(J.Morris(1983)”Stones of Empire”、Oxford University Press)がありました。サッカー、ラグビーも英国発祥ですよね。ベースボールは米国起源かもしれないけれど、クリケットはコモンウエルスでは健在ですよね。近代建築や近代都市計画が世界制覇していくのも、基本的には英国的制度が輸出され植えつけられていったからではないか、ということなんです。ポスト・コロニアリズムが唱えられだして久しいけれど、現代のグローバリズムを捉えるには少し古いセオリーですかねえ。
宇野:そんなことはありません。旧英連邦のコモンウエルスやドイツ北欧のハンザ同盟、ユーラシアのシルクロード、南アジアの海のシルクロードなど、グローバリゼーションの進展でかたちを変えて浮かび上がってきた世界通商網は強力です。布野さんと初めてアジアに行った時(1980年)、マレーシアはほんとに若い国で、街が整っていた。マハティール大統領がすぐれていたのだと思いますが、教育制度も都市計画制度もきちんとしているので感銘を受けました。その20年後にクアラルンプールに行ってみると、英連邦のスポーツ大会(コモンウエルズ・ゲーム1998)をアジアではじめて誘致したころ、かたちのよい新しいサッカー兼陸上競技のスタジアム(Shah Alam Stadium)が建設されていました。設計者はAAスクールで学んだ建築家だと聞きました。
布野:宇野さんとは、まず、フィリピンに行ってマレーシアへ行ったんですよね。僕は、専らハウジングのあり方に興味があって、”Freedom to Build”といったグループのセルフ・ヘルプ・ハウジングとか、エコ・ヴィレッジ・プロジェクトに関心があったけど、確かに、マレーシアとフィリピンはレヴェルが違いましたね。既に、AAスクール帰りの建築家が小奇麗なテラスハウス団地を設計していた。確かに、近代的なシステムという意味では、ヨーロッパに一日の長があり、アジアの国はそれぞれに学んできた。それを一概に普遍主義というわけにはいかない。「和魂洋才」とか「中体西用」とか、土着の文化との葛藤を受け入れながら学んできたわけですね。