1998年10月22日

 京  都  市  長
 桝 本 頼 兼 殿

社団法人 日本建築学会
会  長 尾 島 俊 雄

第一勧業銀行京都支店ならびに
東京三菱銀行京都支店の
保存に関する要望書

 拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。
 日頃より,本会の活動につきましては多大なご協力を賜り,厚く御礼申し上げます。
 さて,このたび第一勧業銀行ならびに東京三菱銀行において,京都支店の建物を,2001年の完成を目指して改築するとの計画が発表されました。
 本会では,以前よりわが国の明治・大正・昭和戦前期の近代建築の調査研究に着手し,その成果を『日本近代建築総覧』にまとめ,1980年に刊行いたしました。さらに,その中でも特に重要な建築作品を指摘して,その歴史的・文化的遺産としての価値を評価し,保存の意義を明らかにしようと努めてまいりました。両行の京都支店の建物が,ともにそのリストに上げられていることは,既にご高承のことと存じます。
 両支店は,別紙「見解」に示しますとおり,ともに戦前期のわが国の銀行建築を代表する作品であり,わが国近代建築史においてきわめて重要な価値を有する建物であります。また同時に,第一勧業銀行京都支店は「界わい景観整備地区」に指定された三条通りの歴史的景観の中核をなす建物であり,東京三菱銀行京都支店は,四条烏丸という京都の金融の中心地にあって,その表情豊かな外観は長年市民に親しまれてきました。したがって,どちらも京都市の都心の景観に風格と歴史の厚みを加える貴重な遺産であります。建物の改築計画に際しては,このかけがえのない建築を後世に伝えるべく,現建物の歴史的価値を損なうことのないように保存活用に向けての支援策をご検討いただけますようお願い申しあげる次第です。
 なお,本会はこの建物の保存に関しまして,技術的支援などできる範囲でお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。
 今後とも,この優れた由緒ある建造物と良好な環境の保存のために,ご理解とご協力を賜りますようお願い申しあげます。
                                                                                           

敬具


第一勧業銀行京都支店についての見解

社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会  
委 員 長  中 川 武 

建物の概要

 第一勧業銀行京都支店は,明治37年3月に起工し,同39年5月に竣工した。煉瓦造2階建てで当初の建築面積は約127坪である。外壁は煉瓦3枚積みで,壁面は化粧煉瓦積みとし,丹波産花崗岩を要所に用いる。屋根はマンサード屋根で,上部を銅板葺き,下部をスレート葺きとしていたが,現在は全面銅板葺きである。
 設計は辰野葛西建築事務所,施工は清水組である。大正8年に清水組の設計施工により,南側に3ベイ分,西側に4ベイ分の増築を行なった(西側の増築部分は戦後さらに改築された)。増築の際,烏丸通側玄関上部の窓の形状が変更されている。

辰野金吾の作品としての価値

 辰野葛西事務所は,明治36年に東京帝国大学教授・辰野金吾(1854〜1919)が五十歳を期に辞職し,教え子の葛西萬治とともに設立した設計事務所で,東京駅をはじめ百を優に超える建築を手がけた。同支店は,東京海上火災本社屋と並んで,この事務所の第一作を飾る作品にほかならない。さらに,辰野金吾の現存作品のなかでは日本銀行本店(明治29年),同大阪支店(明治36年)についで3番目に古いものであり,この点でも重要である。
 辰野金吾は,工部大学校(東京大学工学部の前身)を第1期生として卒業した後,工部大学校教授,帝国大学工科大学長などを歴任し,日本の建築の近代化にとって巨大な功績を残した建築家である。

デザイン上の価値

 同支店の最大の特徴は,英国のヴィクトリア様式による赤煉瓦を露出させた華やかで美しい外観にある。ヴィクトリア様式の中でも,ここで使われたデザインは,特にフリー・クラシックという手法によっている。これは,辰野が,この建築にわずかに先立って起工した旧日本銀行京都支店(現・京都府京都文化博物館,明治39年竣工)において採用した手法で,以後,辰野はこの手法を使いつづける。フリー・クラシックは,19世紀後半に英国で広範に用いられたもので,細部においては古典系様式の語法に従うが,骨格においてはゴシック的な雰囲気を持つ。特徴は,外壁の構成において赤煉瓦を露出し,白い石材を帯石・隅石として配するところ,また屋根を高屋根や小塔でにぎやかに飾るところにある。辰野金吾が明治30年代後半から大正半ばまで,この手法による建築物を百数十件建てつづけたことから,日本では「辰野式」とさえ呼ばれるようになった。
 当建築は,明治建築のもっとも代表的なデザインといってよい上記フリー・クラシックの手法を辰野金吾が日本に広げていく起点のひとつなのであり,近代建築史上,重要な位置を占める。

増築部分ならびに内部の評価

 大正8年の増築は,清水組技師長田辺淳吉(1879〜1926)の設計による。一見すると原設計を踏襲して拡張しただけのようだが,内部の改造を遂行しながら全体のバランスを整えることに成功した巧みなデザインである。また,その際に室内の改造が行われているが,これも建設当初の雰囲気を踏襲したものである。しかも,その後の改修も部分的なものにとどまっている。従って,同支店は内部空間についても,明治・大正期の銀行建築の室内意匠をよく伝える貴重な遺産として位置づけることができる。

景観上の価値

 以上のような建築史上・意匠上の価値だけでなく,同支店は,同時に,京都の景観にとっても大きな価値を有する。同支店は,歴史的建造物が数多く残された三条通と,京都市内の主要幹線のひとつである烏丸通の交差点という,京都市内の枢要な場所の一角を占め,その赤煉瓦の美しい外観は,長きにわたって人々に親しまれてきた。歴史的景観を残す三条通かいわいは,京都市により「界わい景観整備地区」に指定されているが,その中でも,同支店は最も重要な景観構成要素のひとつとなっており,京都市都心部の優れた歴史的景観の極めて貴重な財産となっている。


                   

東京三菱銀行京都支店についての見解

社団法人 日本建築学会
建築歴史・意匠委員会  
委 員 長  中 川 武 

建物の概要

 東京三菱銀行京都支店は,大正13年3月に起工し,14年11月に竣工した,鉄筋コンクリート造3階建ての建物で,当初の建築面積は約 233坪である。外壁には花崗岩を張り,イオニア式の柱頭を有する片蓋柱10本を配する。設計は当初三菱合資会社地所部で進め,同部技師長桜井小太郎の独立に伴い,桜井小太郎建築事務所が引き継いだ。施工は竹中工務店である。

桜井小太郎の作品としての価値

 桜井小太郎は,イギリスで建築を学んだ後に海軍技師を経て,大正2年から三菱合資会社に入社し,技師長として三菱の丸の内ビジネス街の建設の主軸を担った建築家である。その間に,三菱銀行本店(大正11年竣工)や丸の内ビルディング(大正12年竣工)など,当時のわが国を代表する建築の設計を手がけている。大正12年に三菱地所を退社した後に,桜井小太郎建築事務所を開設するが,同支店はこの事務所の第一作を飾る作品にほかならない。さらに,三菱銀行本店や丸の内ビルディングが惜しまれながらも近年解体されてしまった現状では,同支店は桜井小太郎の作品において,住宅などを除く三菱関連の店舗建築としては最も古いものとなっている。他には,同様に同行ゆかりの旧横浜正金銀行(東京銀行の前身)神戸支店(昭和10年竣工)があるが,これは神戸市博物館として保存再生利用されている。また,銀行建築全体の中で見ても,大手銀行の店舗として現役のものでは,日本銀行本店,同大阪支店,第一勧業銀行京都支店に次いで古い遺構といえる。

デザイン上の価値

 大正期には,わが国建築界にも古典的な様式を脱する新しいデザインの波が伝えられる。しかし,一方で銀行建築やオフィスビルには信用を表す威厳が必要とされた。そうした背景の中で,当時の銀行やオフィスは古典的な骨格を構えながら装飾的な部分を省き,威厳と近代的な新しさを同時に表すような手法が目立った。桜井小太郎が手がけた一連の銀行やオフィスはまさにその代表例である。同支店は,その中でも傑作の一つである。正面の2本の柱が示す古典的な重厚さと,装飾を極力簡略化した全体のシャープな印象が見事に調和している。こうしたデザインを示す遺構の多くが消えてしまった中で,同支店は当時の銀行建築の姿を伝える貴重な遺産として,その価値は極めて高いと言える。

景観上の価値

 以上のような建築史上・意匠上の価値だけでなく,同支店は,同時に京都の景観にとっても大きな価値を有している。同支店は,京都の金融・ビジネス街の中心である四条烏丸の交差点の一角を占め,その威厳のある美しい外観は,長きにわたって人々に親しまれてきた。その意味で,同支店は,京都市都心部の優れた歴史的景観の極めて貴重な財産となっている。景観上の価値からすれば,同支店を失うことは,京都の顔を失うのに匹敵するほどの重要な価値を有しているといえるだろう。しかも,三井銀行京都支店(現三井ビルディング)や富士銀行京都支店など,周囲の歴史的建築が取り壊されてしまった現状では,ますますその価値は重要になっている。