応募作品レビュー009

作品批評②:建築と日時計

魚谷繁礼(魚谷繁礼建築研究所主宰)

この住宅には日時計が挿入されている。しかし住宅に日時計は必要だろうか。なぜ住宅にこれほどまで大層な日時計があるのか、違和感を感じなくもない。設計者は住宅ではなく建築をつくることを意図したのだろうか。つまり居住という用途に従順なプランニングをきらい、敢えて異物を挿入することで、この住宅を住宅らしからぬ住宅に仕立て上げようとしたのだろうか。そのようなことを感じつつ実際にこの住宅を訪れてみると、おもいのほか日時計の異物感を感じない。たしかに存在感はあるが、異物感というより寧ろそこにあることが自然に感じられる。これはどういうことだろうか。

日時計というと、平面と、そこに斜めにたてられた1本の線材により構成されたものがまず思いつく。しかしこの住宅の日時計は、曲面と、屋根天井に刻まれた1本のスリットにより構成される。そしてその曲面が木の線材を放射状に組み合わされることにより構成されている。この住宅では構造材・非構造材含めあちこちに水平垂直の木の線材が露わになっている。日時計を構成する木の線材は他の木の線材のなかにあって馴染みつつ、その放射状の組み合わせは水平垂直の組み合わせのなかで自律している。

冒頭に住宅に日時計は必要ないと書いたが、よくよく考えると住宅をはじめ建築に時計が設置されることは決して珍しくない。この住宅では時計そのものが肥大化し内部空間化しているのである。だからかこの住宅にいると時計を見ずとも時の移ろいを感じる。それは急かされるようなものではなく、もっとおおらかでゆったりしたものである。そもそもこの日時計で分刻みの時間を判別することは不可能である。そしてこの住宅では時計が日時計であるからか、時間のその先に宇宙にある天体を感じる。そう我々人類は、機械仕掛けの時計が発明されるより以前、天体の動向により時間や方角をしりえていたのである。

どうやらこの日時計は住宅に挿入された異物ではなさそうである。宇宙と建築とを繋ぐ装置のようである。そう考えるとやはりこの日時計に違和感や不必要さを感じなくなり、寧ろあって然りかつ不可欠なものに感じてくる。この建築において、宇宙における地球と太陽との関係と、この地球における日々の生活とが接続されるのである。

このような日時計住宅が日本や世界のあちこちに建つことを想像するとたのしい。それら住宅の屋根は何れも敷地形状に関係なく南面し、そしてその勾配は緯度に合わせて変化する。その屋根の下、光が緩やかかつ正確に時を刻み、その時により天体と生活とが接続されるのである。