応募作品レビュー009

作品批評①:「宙地の間」が投げかける「問い」

森田一弥(森田一弥建築設計事務所所長)

瀧田川の駅から西に向かって坂を上り、住宅街を抜けたところにある釣り堀を見下ろす高台に特徴のある屋根が見えた。外観はグレーの塗装を施したガルバリウム鋼板。切り妻でありながら左右非対称の急勾配の屋根と頂部の暖気抜き窓が独特の外観を生んでいるが、そのプロポーションは茅葺き屋根を連想させるからか、改修された民家のようにも見える。

「宙地の間」外観

建築家の渡辺菊眞氏がこの建築の構想を始めたのは、山形県の太陽建築研究所(井山武司氏主宰)でのパッシブソーラーハウスの共同研究がきっかけだという。太陽エネルギーを最大限に利用することで快適な室内環境を得るパッシブソーラー技術の素晴らしさを認める一方で、「光」に満たされ「影」のないソーラーハウスの空間体験は渡辺氏にとって「平板」であり、天体としての地球と太陽の関係を感じられず、結果的に太陽をエネルギーを「収奪する」対象として貶めてしまっているようにも思われたという。その違和感をきっかけに、天空を移動する太陽を体感するための装置である日時計を組み込んだ住宅モデルの構想を開始し、当地に自邸として実現したのがこの「宙地の間」である。

東側に釣り堀と遠く奈良盆地のランドスケープを望む気持のよいテラスに面してこの住宅のエントランスがある。そこを入ると細い廊下の突き当たりの左側(南側)に、南面する大開口を設けた明るく日当りの良いキッチンとリビングがあり、こちらがパッシブソーラーによる暖かく光が満ちた空間である。一方、右側(北側)には南からの日射が直接は届かない少し薄暗い事務所用の空間があり、こちらが「影」の空間にあたる。

南側の部屋の折り返し階段の正面に、半円弧をかたどった日時計があり、そこに光が差し込んで時刻を示す。日時計の南側にも部屋があり、日時計の裏側にも小さな居場所がある。つまり南側の日のあたる空間と、北側の日陰の空間の対比とそれを調停する日時計が、この家の基本的な構成である。

また、一階の床から1m前後の高さまでは基礎コンクリートが立ち上がり、それから上は木材による架構が空間を覆っているが、地面から床を持ち上げた高床式の木造でなく、竪穴式住居のように地面に半分埋もれたような断面構成となっている。

平面図および断面図

インドのジャイプールにムガール帝国のジャイ・シン二世が建設した、ジャンタル・マンタルと呼ばれる天体観測装置群がある。そのうちの1つの日時計は、その敷地の緯度と同じ勾配をもつように設置された中心軸と円弧をもつなど(円弧上の目盛りが均等になるという特徴がある)、太陽と地球と敷地の幾何学的関係によって形態が決定されている。

ジャイプールでは日時計の中心軸に沿って階段があり、その「影」が円弧状の目盛りに時を刻むようになっているが、「宙地の間」では緯度と同じ勾配の南側屋根面で切り取られた「光」が円弧の上に時を映し出す。北側の屋根面は、南側と垂直に交わり、地球の地軸と平行関係にある。また、ここでは階段はジャイプールのように日時計の「中心軸」ではなく「日時計へと向かう動線」として一階と二階を結び、人間が地球の地軸に対して垂直に移動するという地球幾何学的体験は受け継がれている。

地球の歴史に思いを馳せてみると、無機物だけで構成された地球に生命が誕生し、様々な生命が育まれ、地球の表面が有機物で覆われるようになるためには太陽のエネルギーは不可欠であった。しかし人類にとって太陽の熱は生活に直接利用するにはエネルギーの密度が低くて使いにくいため、植物が太陽エネルギーを固定化した物質である樹木を燃焼させることでより高密度なエネルギー、つまり熱を得て調理や暖房を行い、生命を紡いできた。世界の多くの民家において竃や煖炉など火を燃焼させる装置は例外なく神聖な場所とされてきたが、それは間接的に太陽を崇める行為でもあったといえる。

ところが人類が化石燃料をエネルギー源として大規模に用いる近代になると、より「効率的」に熱を利用する技術が次々と生み出され(その過程は「環境としての建築」(レイナー・バンハム著/鹿島出版会)に詳しい)、火が仲立ちをしていた近代以前の人間と太陽の関係は徐々に失われていった。

左/ジャンタル・マンタルの日時計。直階段は当地の緯度と同じ勾配を持つ。
右/「宙地の間」の模型。日時計を中心にした空間構成。

京都角屋の台所の竃。三宝荒神と呼ばれる神様専用の竃。

透明な壁面を通過させて太陽光のエネルギーを建物内に直接取り入れるパッシブソーラー技術は、ガラスの大量生産によってはじめて可能になった、人類の環境技術史という視点から見ても画期的な発明である。一方で化石燃料を離れても、相変わらず我々は太陽光に対して、人間中心の「効率」という思考方法で利用しようとし続けているようにも感じられる。渡辺氏の「太陽をエネルギーを収奪する対象として貶めている」という鋭い指摘には、我が身を振り返ってはっとさせられた。

有限なエネルギーを効率よく利用しようとすることは、人類が太古の昔から続けて来た営みのひとつであり、その技術の積み重ねこそが現代の文明の基礎になっている。しかし技術のあり方を突き詰めていくと最後には「人間とは何か」という根源的な問いと向き合わざるを得ない。

「宙地の間」では、南面する窓から取り入れられた太陽光は、刻々と移り変わる宇宙空間における地球と太陽の関係を日時計上に映し出す。と同時に「影」の存在はその「光」の存在をひときわ鮮やかに浮かび上がらせる。日時計という「効率」とは無縁な装置を中心に据えたこの住宅は、科学技術に頼って盲目的に生存を続ける現代文明への疑問と同時に、「我々はどこから来てどこへ向かうべきなのか」という問いを我々に突きつけている。


一階から見上げた日時計