研究批評001

一人称の研究(その壱)研究対象の符号化と記号表現の復号化の整合性

藤井 晴行(東京工業大学教授)

研究は知をデザインする行為である。知りたいものごとを表わす「問い」をたて、その「答え」をつくり、その答えの正しさを証明する行為である。これらの行為の原動力にはそれをなす主体の知的好奇心と創造意欲がある。「私は〜を知りたい」という気持ちと「私は〜を創りたい」という気持ちである。いずれも、一人称の視点から語ることが基本である。

建築の研究は建築に関わるあらゆるものごとを対象にしうる。その役割のひとつは、対象とする世界のありよう、すなわち、その世界を構成するものごとの性質および他のものごとや世界全体との関係を明らかにして、それらを体系的に認識するための理論を構築するという理論的・認識的役割である。もうひとつの役割は、対象について知っているものごとを新しいものごとの対象の創造に活かす術を知ること、すなわち、対象とする世界のありたき姿やあるべき姿を描き、そのような世界の実現のためになすべき具体的なものごとの計画や実践の根拠となる行動規範を提示するという実践的・行動的役割である。第一の役割に関わる活動は学とよび、第二の役割に関わる活動を術とよぶ。

建築の研究の核は建築の学と建築の術である。建築の学と術は互いから独立する活動ではなく、互いに作用し合って発展する活動である。建築の研究が対象とする世界にはものごとをつくるという行為が存在し、その世界のありようはものごとづくりの実践を通して創出されるものごとによって変化する。 建築の術は、ある好ましい状況を実現することを意図し、「AであるならばBである」「AをすればBなる帰結をえる」となどという法則性を自覚的に適用して建築をする。建築の学はそのような法則性を明らかにする。 学によって解明されたものごとが新たな術を生むきっかけとなり、術によって創造されたものごとが新たな学を生むきっかけとなる。建築の学と術の相互作用が生む循環的な構造のうえに建築の研究は成り立つ。

建築の研究は独自の「科学的方法」を、自覚的もしくは無自覚的に、模索し続けている。自然科学、社会科学、情報科学など、諸科学におけるさまざまな方法を試みることによって、理論的・認識的役割や実践的・行動的役割を果たそうとしている。建築の学は、特に、自然科学の方法を適用することによって、明らかにするものごとが客観的であり、普遍的であり、明らかにするしかたが合理的である(論理的整合性がある)ことを担保しようとしているのではないかと感じている。客観的事実に基づいて合理的に実証された普遍性のある知を提示することは建築の研究にとって大切なことである。しかし、そのような知を扱うだけでは捨象されてしまうものごともある。住まう人やつくる人の想い、例えば、生活理念や設計意図などは、一人称の視点から語られ、主観的であり、固有性をもち、必ずしも論理的整合性をもつわけではない。このようなものごとを捨象せずに扱おうとすると、自然科学的な「科学的方法」が旨とする客観性、普遍性、論理的整合性とするとそれらの性質とは相容れない主観性、固有性、論理的矛盾とどのように向き合おうか葛藤することになる。

松永一郎、田上健一、黒瀬重幸による「Simpson の多様度指数を用いた街路空間の定量分析 − 福岡市の街路ファサードについて」(日本建築学会計画系論文集、Vol.80、 No.794、 pp.1863-1873、 2015.8)は街路景観の多様性と統一性という質を生物学で用いられる Simpson の多様度指数を用いて定量化し、街路景観の多様性と統一性の印象評価と関連づけるようとする挑戦的な研究である。街路景観を定量的に扱えるようにモデル化し、モデルの定量的属性を街路景観の質の一端として考察するというプロセスをふむ。前者は符号化(encode)という対象を記号(数字や数式)によって形式表現するプロセスであり、後者は復号化(decode)という記号による形式表現を対象に戻すプロセスである。

符号化と復号化の適切さは研究の質に影響を与える。記号はそれが示す対象そのものではない。また、対象のすべての特徴をありのままに示すわけではない。例えば、「りんご」という記号は、りんごを知る人にはりんごの色や味を想起させる作用をもちうるが、りんごの色や味を明示しているわけではない。したがって、用いる記号表現が扱おうとする対象の何を示しているのかを正しく理解しておく必要がある。記号表現されないものごとは符号化において捨象される。記号表現上の操作(例えば、数値計算や論理計算)の結果として得られた記号表現(例えば、計算結果)を復号化する際には、記号表現が明示するものごとと記号表現を解釈する者が補完するものごととの違いを意識して扱う必要がある。 後者には記号表現したものごとではないことが混在しうるからである。

松永ら(2015)は、街路景観を街路に面した建物のファサードが連続する立面写真としてモデル化している。このモデルで扱う街路景観は街路の反対側から正対して見ることができる、縦横比 1:8 の立面図的な情景に限られる。この立面写真は縦30×横240のメッシュに分割され、各メッシュの特徴はそのメッシュを代表する(メッシュ内で広い領域を占める)色相、明度、彩度、材料、部位という5つの尺度(筆者らは「見え方の特徴」とよんでいる)の値(筆者らは「分類カテゴリー」とよんでいる)の5次元情報として表現される。立体写真の全体や部分的な領域はそこに属するメッシュの5次元情報の組として表現される。領域の特徴は、観点ごとに、その領域に属するメッシュを代表する分類カテゴリーのその領域内での出現頻度の比(面積比)として表現される。私たちが日常的に経験する街路景観は上記のような符号化プロセスを経て記号表現(数値表現)されているのである。

分類カテゴリーの出現頻度の比は街路景観がもつ空間的な特徴に関する情報を含んでいない。分類カテゴリーが領域内のどこに分布しているかの違いは出現頻度の比に影響しない。例えば、ある領域において2種類の分類カテゴリーのそれぞれがその領域を左右に分割するようにまとまって分布していても、それぞれが市松模様状に領域全体に一様に分布していても、出現頻度の比は同じである。このような情報から求められた多様度指数も、立面写真の特定の領域における分類カテゴリーの種類の多寡と構成比を反映しているが、各分類カテゴリーの分布のしかたは反映していない。すなわち、松永らによる符号化のプロセスにおいて、街路景観を構成する要素の配置という空間情報は、意識的にか無意識にか、捨象される。

符号化は対象の注目する特徴を記号表現するプロセスであるから、意識していない特徴が記号表現によって示されないのは不可避なことであろう。研究業績やその学術的価値という対象を、それぞれ、学術誌に掲載された論文の数やそれが別の学術論文に引用された数を示す数値によって記号表現するとき、それらが研究の内容を反映しないことは私たちがよく知ることである。内容が異なる多種多様な領域における研究業績やその学術的価値を領域を越境して比較するには、内容に言及することよりも、それらのすべてが共通してもつ属性の値に言及することの方が容易である(注;容易だから好ましいと主張しているのではない)。記号表現はすべて特徴を扱わなければいけないということではない。符号化において大切なことは、記号表現がどのような特徴を反映してどのような特徴を反映しないのかを意識し、自分が知りたいものごとの特徴を表現しうる、研究目的に適合する記号表現を適切に用いることである。加えて、復号化においてもこのような意識を忘れないことが大切である。

復号化は記号表現をそれが示す対象に結びつけるプロセスである。研究に関していえば、分析やシミュレーションなどにおける記号表現の操作によって得られた記号表現(注;数値計算であれば、数値の組から新たな数値が生成される)を対象としているものごとの特徴に結びつけるプロセスである。符号化と反対方向のプロセスであるが、符号化の逆プロセスであるとは必ずしもいえない。煎ったコーヒー豆を挽いたものにお湯を注いで抽出されたコーヒーをフリーズドライしてつくられたインスタントコーヒーにお湯を注げばコーヒーらしいものができるが、もともとのコーヒーとは似て非なるものである。フリーズドライ(復号化の比喩)において失われた特徴はお湯を注いでも(復号化の比喩)復元されない。

復号化においても、大切なことは、記号表現がどのような特徴を反映してどのような特徴を反映しないのかを意識することであり、記号表現されている特徴を適正に復元することである。対象に関する内容的思考の過程を特定の規則にしたがう記号操作という形式的思考の過程に置き換えてつくられた記号表現から対象の特徴を読み取る際に、記号表現が扱う内容や思考の特徴に忠実に行うことが基本である。しかし、研究対象が私たちの日常生活に結びついていればいるほど日常的な体験に基づく直感と記号表現の操作による形式的思考が適正に扱える対象の特徴との差異を感じ易い。この差異を内容的思考によって補うことがある。復元の枠を超えた記号表現の解釈も研究にはつきものである。むしろ、記号表現から厳密に復号化した特徴に主観的な解釈を加えることによって研究の迫力が増すこともある。だからといって、主観的な解釈を偏重すれば、符号化と復号化の意義は薄れてしまう。記号表現されているものごととされていないものごとを意識し、どこまでが記号操作によって導かれたことなのか、どこからが自分の主張であるのかを明確に区別しておきたい。

松永ら(2015)は街路景観の研究に多様性と統一性に注目する新たなアプローチを導入しようとする意欲的な研究の端緒を報告する論文であると感じている。符号化/復号化によって扱える特徴と街路景観の日常的体験に基づく直感との差異のすべてを内容的思考によって補完し、現在用いている符号化/復号化プロセスや指標が固定化するのではなく、符号化と復号化を経ての知見と体験に基づく直感とが融和するように、プロセスの実行、体験とのインタラクション、プロセスと指標の評価と改良を構成的に繰り返して行くことによって、街路景観の研究を発展させていくことを期待する。