建築時評013

「長寿社会対応」住宅はどう変質したか

古瀬 敏(静岡文化芸術大学名誉教授)


要約

歳を取っても住み続けることができる住宅が当たり前になることを目指して、「長寿社会対応住宅設計指針案」は提案された。それは追加の議論を経て、1995年に建設省から通達として出され、その後もさまざまな場面において利用されているが、依然として高齢対応は大前提として理解されていないきらいがある。なぜそのようになってしまったのかを考えてみたい。

はじめに

住宅建設はわが国にとって経済成長の牽引役と長い間みなされてきた。家を手に入れるのは亭主の甲斐性、というふうに言われるから、ようやく貯めたお金を頭金にして残りを借りて自分の住宅を手に入れる。そして借金を返すためにしゃかりきに働く。この繰り返しが戦後の驚異的な復興と経済成長に寄与したことは間違いないだろう。しかし、そうやって手に入れた住宅は自らの高齢期には役に立たないことを思い知らされてきた。戦後まもなく建てられた住宅は30年持たずに建て替えを選択する羽目となった。それ以降に建設された住宅は改修を行っても満足すべき高齢対応性能に欠け、耐震性能も十分とは言えず、もちろん省エネ性能も不足。こうしたミスマッチの発生を少なくとも高齢対応に関しては何とか正そうとしたのが指針の提案である。果たしてそれはどこまで達成でき、どこに課題が残っているのか。

高齢化の警鐘

1986年のことだった。わが国の急速な高齢化が避けられないという人口推計結果が厚生省人口問題研究所から出された。5年ごとに発表されるものだが、それより5年前の、ピーク時には65歳以上の割合が20%を超えるというメッセージが、この年には、2030年ごろのピークは25%に近づく、つまり4人に1人は65歳以上となるという、危機感をより前面に押し出したものとして発信された。

この将来推計は、各省庁にとって今後の政策がどうあるべきかを検討する格好の前提とされ、直ちに新たな予算要求に結びつけられることになった。当時の建設省住宅局からも総合技術開発プロジェクトの課題として予算要求がなされて大蔵省に認められ、建築研究所が実施を担当することになった。「長寿社会における居住環境向上技術の開発」がそれで、1987年度から91年度まで5年間にわたって行われた。

高齢期住宅のありようは?

建築分野と都市分野とに分けて実施することになったものの、最終的なアウトプットは開始時点では十分には絞り込まれていなかった。実施担当の一員となった筆者は、建築物一般(多数者利用の建築物)に関してはすでにそれなりの議論と実行が見られているのに比べると、個々人が自らの判断で対処するものとされている住宅のあるべき姿はまだ示されていない。そこで将来を見据えて、今後に向けての設計指針を提案することが最低限の義務と考えた。団塊の世代の一員として、自らの高齢期にどのような住居に住まうかを考えると、それまでの高齢者専用住宅という方策ではとても対応不可能と判断したからである。筆者は、1986年に住宅局からの求めに応じて、シニア住宅、管理人がいる高齢者用の住宅のための要件をまとめており、それは施設(=養護老人ホーム/特別養護老人ホーム)ではなくてともかく「住宅」という形でのありようを提起したものだったが、そのように高齢者の利用に特化した特殊解は来たるべき超高齢社会にあってはとても絶対数として対応不可能だと考えざるを得なかった。圧倒的な数を前提とすると、ごく普通の住宅が高齢期の居住を支えられなければすべてが破綻する、という危機意識があった。

それまでの高齢者に関わる問題は、いずれの視点からも特別な対応を前提としていたのだが、それは1986年時点で北欧の高齢化先進国は65歳以上の高齢者は17%程度であるのに対してわが国はほぼ10%であり、社会保障の重圧にあえいでいる北欧を、まだ余裕があると思っているわが国が冷ややかな目で見ているという状況だった。それより前に提唱された「日本型福祉社会論」は家族介護を美徳として評価していて、これからも同居家族による支援(介助・介護)がずっと続くという根拠なき楽観が大多数の人々の意識だったのである。しかし、上述したように団塊世代が介助・介護の対象となるであろう75歳以上の後期高齢期を迎える2030年ころには、冷静に考えれば家族介護は無理であると容易に推測できた。

それゆえ、プロジェクトにおける成果は、すべての住宅を「高齢期になっても住み続けられる」ように持って行かなければならないと考えた。外部有識者や専門家を集めてのプロジェクト遂行に当たっては、特殊解の発想から抜けきれない委員も少なくなかったが、プレハブ住宅メーカーの関係者を共同研究者に取り込むことで、まったく高齢期を想定していない住宅と、あらゆる仕掛けを織り込んだ障害・高齢対応住宅との間で現実的な着地点を見いだすことに成功し、「長寿社会対応住宅設計指針案」を提案するところまでこぎ着けた。しかも、4年目が終わった時点で公営住宅の高齢対応に利用可能な素案を作成し、これは公営住宅建設に際しての国からの補助金支給において参考とされることになった。その後、東京都は他の自治体に先駆けてこの内容を採用している。

戸建て住宅の長寿社会対応を目指す

最終年度には戸建て住宅向けの指針案を提案したが、もちろんこれはふつうの注文住宅を念頭に置いたものである。したがってこの指針案は公営住宅向けとは異なって暗黙であっても強制力を持たず、このようにしてはいかがですか、長い目で見ればお役に立ちますよ、というお薦めメニューとしての役割を果たすというところで留まる。それでも筆者としてはこれを理解してもらうべく、住宅メーカー団体に説明してまわった。また紹介する機会があったときには、長寿社会を見据えて住宅をつくることはもはや必須である、と力説した。この指針案はできるだけはやく案の段階を通り過ぎて完成版として公表したいと考えていたのだが、役所の側のさまざまな思惑があり、住宅局長通達と住宅整備課長通達として出されたのは結果として1995年、阪神淡路大震災のあとになった。なお、建設省で指針の解説を出すのにはかなり時間がかかったが、そうこうしているうちに厚生省が行っている年金住宅融資のほうから指針案を利用させてほしいというリクエストがあり、建設省は了承したのだが、最終的に出た出版物には利用したことに対する謝辞がなく、筆者は知的財産を横取りされた、と憤ったものである。担当の役人は、自分がつくったものではなかったので、当方の怒りをまじめに受け取ってくれなかったが、もし筆者の虫の居所が悪かったらたぶん盗作として訴えていたと思う。

住宅金融公庫における対応

当時は個人が住宅を建てるに際しては、住宅金融公庫が金融機関として大きなシェアを持っていたので、その融資制度にうまく連動させることができれば指針の利用を推進するのに力になるのではないかと考えていた。住宅金融公庫の融資には利子補給があり、その分だけ個人負担の金利が安くなっているのだが、要は国から税金がまわっているのだから、それを根拠として住宅政策と協調させられれば効果があるはずである。もちろん、理屈はそうであってもふつうは簡単には制度が動かないのだが、たまたまバブルがはじけたあとだったので、民間金融機関は今後も確実な融資先として従前以上に個人に対しての住宅建設融資を重視する傾向にあった。そこで住宅金融公庫をライバルとみなすようになり、公庫がなくても自分たちが十分に役割を果たせる、昔ならともかく公庫は今や不要、との論陣を張りだした。それに対して生き残りを賭けた公庫の反撃が政策連動という錦の御旗であったようで、1996年度からの融資制度の大幅な変更ではこの方針が強く打ち出された。このときに政策連動とされた力点は3つあった。高耐久、省エネ、そして高齢対応である。国からの利子補給を入れる代わりに、より質の高い住宅を目指させるというわけである。これらのうちのいずれかの要件を満たさなければ優遇金利は適用されない、また、割増融資もこれらの線に沿ったものに限定される、というわけで、いちおう理屈としては民間金融機関の攻撃をかわすことになった。高耐久は当たり前ということでしばらくたつとメニューから消え、省エネと高齢対応が残った。新築に際しての高齢対応は比較的容易であったので、結果として利用者が多くなったと推察できる。2006年時点では6割近くがこの要件を用いて優遇金利の適用を受けていたようである。ちなみにこの高齢対応要件は俗にバリアフリー3点セットと称され、原則段差なし、要所への手すり設置、そして通路とドア幅の確保であった。

住宅に関するさまざまな動きと課題

さて、このようにして活用される仕掛けが整ったのだが、ちょうど世紀が変わるころ2つの大きな動きがあった。住宅品質確保法に基づく住宅性能表示制度の導入、そして高齢者居住安定確保法の制定である。

前者は欠陥住宅問題への対処の一環としてなされたもので、任意の制度であるがもし行う場合は全ての性能項目について等級付けをしなければならず、その中に「高齢者等への配慮」という項目が加わったのである。安全性と使い勝手という基本から、加齢に伴う不都合に対処し、高い要求水準だと介護対応までカバーするところまで考慮して5段階が設けられた。もっとも、第三者による性能の確認に少なからぬ費用がかかることから、この性能表示制度を利用する住宅の大半は集合住宅であり、戸建て住宅はあまり利用されていない。なぜかといえば、性能表示は中古住宅の流通に当たっての客観的な尺度として利用される可能性が高いと捉えられ、戸建てのかなりの割合を占める注文住宅では他人に売却することは通常は考えないが故に、費用が余分に発生するなら表示は不要と判断するからであろう。

一方で後者によって、これまでの指針が「高齢者が住まう住宅の指針」と銘打った大臣告示として出され、局長・課長通達に比べると重みは増したのだが、その反面、高齢者のみの問題であるかのように矮小化されて受け取られることになった。しかも、この法律が意図したのは民間賃貸住宅への高齢者の入居の促進だったのだが、指針が求める水準はすでに市場にある住宅のほとんどより高かったため、実際の運用に際しては緩和をせざるを得ず、それでも国が意図したほどの戸数は集まらなかった。このため、2011年に法律は改正されて介護保険と連動する「サービス付き高齢者住宅」建設の促進へと大きな方針変更をすることになった。そこでは介護保険利用と無縁な高齢者は必ずしも歓迎されない。介護保険サービスから得られる利益と家賃とがセットになって投資した成果が出るように仕組まれているからで、その意味で高齢者のみを意識する特殊解への回帰といえるかもしれない。

住宅金融公庫の廃止

もう一つ、述べておくべきなのは2007年3月末に住宅金融公庫が廃止され、(独)住宅金融支援機構になったことだろう。民間金融機関の攻撃に対して一度は反撃したのだが、小さな政府を指向したさまざまな動きの中で、公庫も大きな変化を免れなかった。新たな組織はその役割を大幅に縮小され、政府関連機関として災害のあとの住宅復興融資などを受け持っている。もともと住宅金融公庫が果たしていた低利融資、という点については、「ゼロ金利時代」がかなり続いており、民間金融機関でも以前に比べると低利で借りることができるので、この意味では公庫がなくなった不便はほとんどないといえよう。その民間金融機関の貸出であるが、より質の高い住宅を建ててもらう方が貸した側にとっての担保価値が高いはず、と筆者は単純に思うのだが、現実はそう簡単ではないようだ。担保価値は融資返済が不可能になった場合に意味があるのだが、今は保険がそれを代行しており、融資した金融機関が直接担保物権を手に入れるわけではないので、住宅の質はあまり問われていない。いくつかの金融機関を調べたが、高齢対応などによる優遇金利は提示されていなかった。あまりの低金利のゆえにさじ加減不可能という事情のようだ。保険会社が担保価値を厳密に判定するようになれば、状況が変わるかもしれないが、火災保険にあっても個々の住宅を入念に査定してはいないところからみると、望み薄であろう。

まとめにかえて

以上、住宅の高齢社会対応について、この30年ほどのさまざまな流れを見てきた。平均余命が80歳を超え、高齢期を生きなければならないのが当然になっているのにもかかわらず、人々の意識は数十年前の段階に留まっており、それによるミスマッチの不利益はけっきょく個人に返ってくるのだが、まともに心配しているようには見えない。厚生労働省は生きていくための基本となる住宅をあまり重視せず、認知症の問題ばかり気にしているようだが、人々のQOLを確保するためにはもっと幅広く課題を捉えねばならないはずである。介護保険による住宅改修の費用が20万円限度、かつ原則として1回のみというのは、住む環境としての住まいの意味を全く理解していないとしか言いようがない。これがまだ続くようであれば、わが国の将来は依然として暗いであろう。

参考文献

建設省住宅局住宅整備課編(1998)長寿社会対応住宅設計マニュアル 1.戸建住宅編、高齢者住宅財団
建設省住宅局住宅整備課編(1998)長寿社会対応住宅設計マニュアル 2.集合住宅編、高齢者住宅財団
高齢者住宅財団(2005)高齢者が居住する住宅の設計マニュアル、ぎょうせい
高齢者住宅財団(2005)障害者が居住する住宅の設計資料集、ぎょうせい
Kose, S. & M. Nakaohji (1989) Development of Design Guidelines of Dwellings for the Aging Society –A Japanese Perspective, CIB89 International Congress –Quality for Building Users Throughout the World, Vol. 1, pp.77-86
Kose, S. & M. Nakaohji (1991) Housing the Aged: Past, Present and Future; Policy Development by the Ministry of Construction of Japan, The Journal of Architectural and Planning Research, 8(4), pp.296-306
Kose, S. (1996) Possibilities for Change toward Universal Design: Japanese Housing Policy for Seniors at the Crossroads, Journal of Aging and Social Policy, 8(2&3), pp.161-176
Kose, S. (2001) Design Guidelines of Dwellings for the Ageing Society: Japanese Approach toward Universal Design, CIB World Building Congress Proceedings CD-ROM, Wellington, NZ: BRANZ, Vol.3, pp.179-188
Kose, S. (2005) Universal design of dwellings: Who are the assumed residents?  Gerontechnology Vol.5 No.3, pp. 170-173
Kose, S. (2006) Reconsidering Universal Design of Dwellings, The 2nd International Conference for Universal Design in Kyoto 2006 Proceedings, pp. 365-371
Kose, S. (2011) How can the exploding senior population be accommodated? Japanese struggle towards inclusive design, Journal of Engineering Design, 21(2), 165-171
Kose, S. (2013) Universal Design of Housing in Japan: Challenges and opportunities, UD2012 Oslo Conference Report
年金住宅協会(1995)在宅ケアとバリアフリー住宅

古瀬 敏(こせ・さとし)

1948年佐賀県生まれ。静岡文化芸術大学名誉教授。東京大学工学部建築学科卒業、工学博士。専門は建築安全計画、人間工学、ユニバーサルデザイン。著書に、「ユニバーサルデザインへの挑戦」、「建築とユニバーサルデザイン」ほか、翻訳書に「アトリウム建築」、「新しいアトリウム」など。ユニバーサルデザインに関する論文など多数。