■日本建築学会図書館所蔵「辰野・妻木文庫」資料展 展示資料解題

 藤森照信(東京大学生産技術研究所教授)


1.妻木文庫図面について

 妻木頼黄は、明治を代表する建築家の一人であり、また本会の創立者の一人でもある。明治の
建築家たちは、その受けた教育と建築の作風によってイギリス派、フランス派、ドイツ派、アメ
リカ派などのように分けて考えることができるが、妻木の場合は複雑をきわめる。
最初に建築を学んだのは工部大学校のコンドル先生で、工部大学校を中退して渡米し、創設期の
コーネル大学建築学科に入り、卒業して帰国して東京府庁の設計を手がけ、その後、官庁集中計
画のため政府によってドイツに派遣されて学んでいる。教育の系譜としてはイギリス派、アメリ
カ派、ドイツ派の三つを渡ったことになる。しかし、帰国後の作風はドイツの様式で一貫し、ま
た、ドイツ系人脈のリーダー的役割りを果しており、全体としてはドイツ派である。というより、
妻木の活躍によって日本のドイツ派は、主流としてのイギリス派と対抗するだけの力を持つこと
ができた。
 妻木の資料は、没後、建築関係の図面と本が建築学会に寄贈された。今回は、その図面の一部
を展示する。
 妻木の図面は、すべて、官庁集中計画関係のものである。官庁集中計画とは、名のとおり、国
会議事堂をはじめとする明治の新政府の“家”を一ヶ所に集めて建設しようというもので、具体
的な計画案としては明治8年に第一号が出されているが着手にいたらず、数年して明治19年1月、
本格的に立案が開始される。鹿鳴館で知られる外務大臣の井上馨がトップに立ち、東京全体の鹿
鳴館化、パリ化を目標に、ヨーロッパの建築家を物色し、当時、フランスを普仏戦争で破って日
の出の勢いだったプロシャ(ドイツ)のビスマルク内閣の建築顧問のエンデ(Hermann Ende)と
ベックマン(Wilhelm Bockmann)を招く。また、やや遅れて、現在のベルリンの骨格を作った大
ベルリン環状計画の立案者として世界的に知られるホープレヒト(James Hobrecht)も招く。
彼ら三人に指導された官庁集中計画の、日本側建築家グループのトップが妻木にほかならない。
 官庁集中計画は、政治的、経済的事情により途中で終わり、実現したのは、大審院(最高裁判
所)、司法省(法務省)、海軍省、仮国会議事堂などにとどまった。計画倒れに終ったものとして
は、国会議事堂、東京府庁、東京ホテルなどがある。
 妻木が遺した図面類を見ると、今回の一部展示でもよく分かるように、建築図面としての体系
性は乏しい。平面、立面、断面の基本図が整っている建物はないし、やや唐突に工事中の載荷試
験の図や、木組みの細部の図が混っていたりする。こういう様子からみて、たまたま妻木が家に
置いていたものであることが分かる。体系的な図面類は、関東大震災の時、大蔵省が保存してい
たものも、各省庁が保存していたものも焼失した。現在、本学会以外で図面が残るのは、パース
一枚がベルリンにあり、明治天皇が所望した初期計画案一揃いが宮内庁にある可能性が高い。
妻木文庫の重要さがうかがわれよう。

 原図ではなく印刷物であるが、初期の計画の基本図を集めたドイツ語のプレート図集がある。
出版事項(刊行年、編者、出版社、印刷場所)が明らかでなく、事情は謎だが、官庁集中計画と
いう一大計画の全体を知る貴重な資料となっている。妻木の手許に残ったものしか現在までに発
見されておらず、おそらく、内々に製作され、ごく一部の関係者に配られたものと推察される。


2.辰野文庫書籍について

 辰野金吾は言うまでもなく日本最初の建築家であり、本会の創立者であり、本会の実質的な初
代会長であり、ほぼ生涯に渡って会長をつとめている。
 そのくらいの建築家であるから資料は十分に保存されてきているかというと、残念ながら不十
分をきわめる。辰野の没後、図面類は辰野の東西二つの事務所(東京の辰野葛西事務所、大阪の
辰野片岡事務所)の後継者に引きつがれ、さらに東京の分は戦後相当長く旧事務所関係者により
保存されていたと思われるが、その後のことは分からない。大阪も分からない。おそらく、今は
ないであろう。
 辰野家に残された手紙、メモ帳、ノート、辞令類、若干の図面などは現在、東京大学藤森研究
室に所蔵されているが、建築資料としては弱い。辰野が設計した大量の建物の所有者のところに
残る図面もきわめて少ない。辰野の没後、関東大震災、東京大空襲があったとはいえ、あまりに
少ない。まことに残念なことである。
 辰野の建築本はどうなったのか。日本最初の建築家としてイギリスに留学した辰野は、ロンド
ン大学に学んだ後、バージェス(
William Burgess)の事務所で実務修業をしているが、辰野の帰
国後にあたり、たくさんの建築書を贈られた。しかし、船が沈没してしまい、ふたたび寄贈され、
それらは東京大学に入った。その中で、当時の建築書として重要なものをあげれば、ルネッサン
ス期の古典的建築書、19世紀に入って本格化する図版集の大型本、さらに建築関係雑誌のバック
ナンバーの大揃いがあるが、そういうものを辰野は私的にコレクションしたとは伝っていない。
 現在、本学会に辰野文庫として伝わる書籍は、辰野が家に置いていた本だけが、没後、寄贈さ
れたものであろう。その証拠に、本格的な本はないし、辰野家に江戸時代から伝えられてきたよ
うな兵法の本も混っている。
 当時は歴史主義の時代であり、歴史主義を深めるには古典的書籍のコレクションは欠かせない。
辰野の下で最も長く設計を担当した長野宇平治は、独立後、ルネッサンス以後の建築書の収集を
開始し、パラディオの著書やピラネージの版画集をはじめとする充実したコレクションを作りあ
げ、現在、早稲田大学に移されているが、長野には、辰野先生の欠を埋めるような気持ちがあっ
たのかもしれない。
 辰野文庫に伝わる建築書のほとんどは洋書であるが、辰野はそれらをいつ入手したのだろうか。
刊行年からみて、イギリス留学中に入手したと思われるものが一番早く、以後、何かにつけ入手
したもの、と見なしていい。今回展示しているファーガソンの本の刊行は明治6年(1873年)で
あり、辰野が工部大学校に入学した年にあたり、入学早々の辰野が入手したとも考えられるが、
どうであろう。当時はコンドル先生の来日前であり(コンドルは明治10年来日)、ちゃんとした
建築教育が全くなされていない時期で、その可能性はうすい。辰野がコンドル先生の本格的教育
を受けたのは6年制の最後の2年半であり、先生に教えられて入手した可能性もないではないが、
やはり、留学してからと考えるほうが素直だろう。
 辰野文庫に伝わる建築書には体系的に集められた形跡はなく、その都度、必要なものを買って
いたと思われる。
 辰野自身についての本としては、生前に出された『家屋建築実例』の図版編と仕様編の二冊と、
没後に出された『工学博士辰野金吾伝』と『日本銀行図譜』の四冊があり、今回は『家屋建築実
例』の図版編を展示する。


■展示資料解説

妻木文庫@ベックマン、妻木: 大審院中央大階段之間化粧天井横截図(乙)【採用案】 

実現した中で最も立派な造りを誇った大審院の玄関ホールのディテール図で、和風が加味されて
いるところに特徴がある。

妻木文庫Aベックマン、妻木: 大審院 中央大階段之間化粧天井横截図(乙)【不採用案】

大審院は純洋風でも検討されていたことがこの図で分かる。結局、外観は純洋風、ホールのイン
テリアは和風加味で実現する。

妻木文庫Bベックマン、妻木: 大審院 大架屋根組

立体的な分かりやすい大審院の屋根を木造で架すための図で、その図法からして、大工への説明
用だった可能性もある。

妻木文庫Cベックマン、妻木: 司法省 煉化石方柱側面及び断面図(載荷試験)

煉瓦は個々の強度がバラバラだから、ある程度積みあげて試験しないと強度が分からない。

妻木文庫Dベックマン、ヘルマン・メンツェ: 東京ホテル(帝国ホテル前身)

官庁集中計画では当初、国営ホテルが計画され、ヘルマン・メンツェが担当しているが、この案
は実現していない。後に河合浩蔵(本会創立者の一人)が民間の帝国ホテルとして実現した。

妻木文庫Eコンドル: 帝国議会上院

官庁集中計画は、エンデ&ベックマン招聘前にはコンドルが担当していた。コンドルによるイギ
リス議会風の議院案。

妻木文庫Fベックマン 議院

国会議事堂はこのような姿で建つはずであったが、計画途中で挫折し、仮議事堂が造られている。

妻木文庫GArchitekten Ende & Bockmann:TOKIO HIBIYA

今の有楽町駅あたりから見た霞ヶ関方面の未来図。丘の上の国会議事堂位置は今と同じ。

妻木文庫HArchitekten Ende & Bockmann: TOKIO SAIBANSHO

大審院の図。大審院は、まず洋風で計画され、ついで和洋折衷に転じ、また洋風にもどり、ホー
ルの天井に和風を加味して実現している。

妻木文庫IArchitekten Ende & Bockmann: TOKIO SHIHOSHO

司法省は大体この図のとおり実現し、東京大空襲で被災したが、1994年に修復されて現在にいたる。

妻木文庫JArchitekten Ende & Bockmann: KOKUKUWAI GIJIIN Perspective

もしこの図のように建っていたら、明治最高の建築になっていたに違いない。

妻木文庫KArchitekten Ende & Bockmann: KOKUKUWAI GIJIIN L-section

エンデは、ドイツ国会議事 堂コンペの入選者であり、自信を持ってのぞんだであろう。国会議事
堂を設計したい一心で来日した可能性もある。


辰野文庫@兵法秡書疋夫抄 武功之巻、同軍詞之巻(2冊一組で)

辰野は唐津藩の最下級武士の子であった。子供の頃、鎗一筋で身を立てたいと願ったと、晩年述
べている。

辰野文庫A家屋建築実例

大学を辞め設計事務所を開いて設計を手がけてから、発注者と建築界に向け、自作図面集が刊行
された。もっぱら民間会社建築が紹介されている。

辰野文庫BJames Fergusson : History of the Modern Style of Architecture, 1873

ファーガソンは、インドをはじめとする東洋建築史の最初の研究者として世界的に知られる。

辰野文庫CSir William Chambers : A Treatise, The decorative part, Civil Architecture,
       Illustrations, Notes, and an Examination - Grecian
Architecture -

チェンバースは当時の世界を代表する建築家兼理論家として名高い。

辰野文庫DE.Viollet-Le Duc : Dictionnaire Raisonne, L'Architecture Francaise de XIe au XVIe Siecle

デュクはいうまでもなく、かのフランスのゴシック研究者。ヨーロッパ中世期の建築辞書で名高い。

辰野文庫EParlaments-Gebaude fur den Deutschen Reichstag zu Berlin, vom Jahre 1872

辰野は、明治期を通し、国会の建築を手がけたいと願っており、ドイツの様子を知りたかったの
だろう。